(2012年憲法記念日に寄せて)形骸化した国民主権を実質的なものに
(時事通信社に寄稿し、時事通信社が配信したものに加筆しました)
関西電力大飯原発の再稼働をめぐる政府の道理なき強引な姿勢が、国民の不信感を日に日に募らせている。再稼働の決定権は法制度的には内閣総理大臣にある。だが、原発については国会議員という代理人や彼らが選んだ首相に委ねることなく、国民投票によって(実質的に)主権者が直接決定するのが道理ではないか。
そう考え、3.11の後に仲間と共に[みんなで決めよう「原発」国民投票]というこの市民グループを結成。詩人の谷川俊太郎氏やコラムニストの天野祐吉氏ら多数の賛同者を得て、「原発」国民投票を実現させるための運動を展開している。一部、誤解があるので記しておくが、この運動は会としては、反原発を達成することを目的としてやっているのではない。憲法3原則の一つ「国民主権」をより豊かなものとするために行なっているのだ。
「主権」、すなわち国家の政治を最終的に決定する権利は私たちにある。だが、原発についてはその国民主権が形骸化していると言わざるを得ない。
現在の日本において、原発に関する国民の意思が、国政選挙によって政治や行政に真っすぐ反映されることは稀である。例えば、前回の衆院選挙において東京1区(千代田区、新宿区、港区)では海江田万里氏が当選し、惜敗した与謝野馨氏が比例代表で復活当選している。2人は共によく知られた原発推進派であり、次の総選挙では、両人に加え自民党からも推進派の候補者が出馬する。このうちの誰かが当選する可能性が高く、反原発を掲げる共産、社民両党からの当選は難しい情勢にある。
では、この選挙区の有権者の多数が「原発存続」を是としているのかといえば、そんなことはない。報道機関による世論調査の結果通りだとすれば、調査に応じた過半数の人が、原発は即刻あるいは段階的に廃止すべきだと考えており、それが主権者の多数意思だと言える。にもかかわらず、選挙ではその意思を否定する人が当選する。これは東京1区に限ったことではなく、原発については、全国のほとんどの選挙区で同じような「ねじれ」が生じるのだ。選挙は、いくつかの政策のパッケージを考慮して投票先を決めるものだから、どうしてもこのような「ねじれ」が起きることになる。
こうした重要課題についての「ねじれ」を回避し、国民主権の形骸化を防ぐには、議員に委ねることなく、個別の案件について主権者に直接問う国民投票を実施するしかない。
子ども手当や高速道路の無料化など、一般的な政策課題の方向性については、政府や国会に委ねてもいいだろう。だが、「原発」をどうするのかという課題は、軍隊を持つのか否か、交戦権を認めるのか否かを問う「9条改憲」と同様この国や世界の行く末に多大な影響を及ぼす重要な課題だ。その決定を野田佳彦氏であれ誰であれ、首相ら一部の政治家に委ねるわけにはいかない。
9条など憲法改憲については国会議員に発議権はあっても決定権がなく、国民投票で決める規定(憲法96条)になっているが、原発の問題は憲法事項ではなくこれには当たらない。だが、原発の是非は最重要課題なのだから、かつてスウェーデンが行なったように、政府が「結果を最大限尊重する」という約束の下に行なう諮問型国民投票で決めるべきではないか。
欧州を中心に世界中で1150件以上の国民投票が実施されているのに、日本はまだ一度もその経験がない。機は熟した。「原発」は最良のテーマだと考える。これを行い、「原発」についての最終決定権、国民主権を私たちの手に取り戻そう。
2012年5月8日 | コメント/トラックバック(0) |