10月17日(金)、原発埼玉県民投票の直接請求署名集めが開始されます

原発埼玉県民投票準備会は10月3日、直接請求の署名開始に必要な書類を埼玉県の文書課に提出しました。制定を目指す条例は「原発に関する埼玉県民投票条例(案)」で、「原発に賛成」か「原発に反対」かを問う住民投票の実施について定めるものです。

10月17日には請求代表者証明書が交付され、直接請求の署名期間が開始されます。県議会に条例案を提出するために必要な法定署名数は、約11万筆(有権者の50分の1以上)。署名期間は2か月間で、一部の地域を除き、12月17日までとなります。

準備会は現在、各地で受任者説明会を開催するなどして、署名を集める人や県外のサポーターを募集しています。また10月17日午後には、浦和駅前で署名活動を開始することが決まっており、参加者を募っているところです。会の動向の詳細については、以下のホームページ、facebookコミュニティ、ツイッターアカウントで確認できます。

原発埼玉県民投票準備会のホームページ
Facebook 原発埼玉県民投票準備会のコミュニティ
・ツイッターアカウント @kenmintohyo_sai

福島第一原発の事故以降、原発住民投票を求める直接請求運動は、2011年12月10日に署名集めが開始された原発都民投票、原発大阪市民投票、2012年5月13日に開始された静岡原発県民投票、2012年6月23日に開始された新潟原発県民投票と4度実施されており、市民グループ<みんなで決めよう「原発」国民投票>(以下、当会)は、運動の主体として、また側面から支援するかたちでこれらの活動に関与してきました。

埼玉原発県民投票運動は、過去4つの原発住民投票運動と基本的な理念・性質を共有するものであり、当会の賛同人・会員も多数参加しています。当会はこれまで都民投票の経験の伝達等で協力をしてきましたが、これからも広報等の面で積極的に支援をしていきます。

【千葉】「市民の、市民による、市民のためのエネルギー講座」続編決定!

市民グループのワークショップ発表の模様

市民グループのワークショップ発表の模様

本年5月から9月まで、全10回の連続講座「市民の、市民による、市民のためのエネルギー講座」が、千葉大学 都市環境システム学科 佐藤研究室と実行委員会が主催して、みんなで決めよう「原発」国民投票など4市民団体が協力して開催されました。

この度、装いを新たに千葉大学の後期講座として開講することが決まりました。

これまでのコンセプトは踏襲し、学生と市民が一緒になって、これからのエネルギーの課題、問題点を考え、取り組んでいこうというものです。

当会の千葉県在住の賛同人も、講師として登壇します。

市民の方々の参加も可能ですが、教室の関係もあり、
20名程度の参加とさせて頂きますので、あらかじめご了承下さい。

【概要】
■講義名:都市環境エネルギー概論
     ・ドイツ/スウェーデンのエネルギーの現状
     ・日本の原子力政策の実態
     ・エネルギーシステムの安定性
     ・創エネ/蓄エネ/省エネの技術トレンド
     ・ご当地エネルギーの利用
     ・あるべき「エネルギー政策」にむけて 
      など、ワークショップを含め、15講座を開催
■開催場所:千葉大学工学部 17号棟213講義室(17号棟2階)
      千葉市稲毛区弥生町 1-33 千葉大学西千葉キャンパス構内
■日時:10月1日より、毎週水曜日 16:10~17:40(5限)
■申込み:http://echoice.jimdo.com より

開催報告【シンポジウム「原子力政策をどう決めるか 福島原発事故をきっかけに」】

719_hp7月19日、東京の安田コミュニティプラザで、当会主催のシンポジウム「原子力政策をどう決めるか 福島原発事故をきっかけに」が開催されました。

当日は、会場いっぱいの方々にご参加いただき、ゲストの吉岡斉氏、寿楽浩太氏、また宮台真司・杉田敦両代表を交えて、原子力政策の決定に市民はどう関わるのか、科学技術の民主化や重大なリスクに対する市民の価値選択等、さまざまな論点について活発な議論が行われました。ご来場、ご協力いただきました皆様に感謝いたします。

当日の動画は、以下のアドレスで公開されています。ぜひご覧ください。

1/4 開会の挨拶 宮台真司(当会共同代表)
2/4 基調報告「原子力政策の策定方式とその改善構想」吉岡 斉(九州大学教授)
3/4 コメント「価値選択」の社会的意思決定に向けて 寿楽浩太(東京電機大学助教)
4/4 パネルディスカッション 登壇者:吉岡斉、寿楽浩太、宮台真司、杉田敦(兼司会)

2014年7月26日 | コメント/トラックバック(0) |

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住民投票で切り拓いた、ドイツ初・市民電力会社の設立: 第三回 創立者のウルズラさんに聞く

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都民投票のスタッフだった大芝健太郎氏が、映画「シェーナウの想い」の舞台となったドイツのシェーナウ市を訪れ、関係者にインタビューを行いました。「住民投票で切り拓いた、ドイツ初・市民電力会社の設立」と題して、これまでに2回レポートを掲載しました。最終回である第3回では、いよいよ「シェーナウ電力」の代表に会い、住民投票の本質について聞きます。


ヴァルターカーレさん

ヴァルターカーレさん

 私がシェーナウの街で最初にインタビューしたのは、ヴァルター・カーレさん。ホテル「4匹のライオン」のオーナーであり、料理長だ。このホテルにはコージェネレーション(熱と電気を同時に生み出す機械)が導入されており、映画「シェーナウの想い」の中でも紹介されている。予約もせずにいきなり伺ったのだが、シェーナウを訪れた経緯を話すと、夕食前の忙しい時間にもかかわらず、ヴァルターさんはコージェネの機器があるボイラー室まで連れて行ってくれて、快く当時の話などをしてくれた。

 彼は原発に関して反対の立場である。そのきっかけはチェルノブイリ原発事故だ。「キノコなど、食材を普段の仕入先から買うことができなくなってしまい、もしもっと近い原発で事故が起こったら……と考えると、反対せずにいられなくなった」と言う。住民投票の際は表立って活動することはしていなかったが、シェーナウ電力会社設立に向けた会議やイベントでは、ホテルの部屋などを提供したそうだ。

「住民投票をしたことによって困ったことはありませんか」と聞くと、「シェーナウ電力に反対の人が、お客さんとして来てくれなくなってしまったのには困ったが、今ではその影響も薄れてきたよ。逆にシェーナウ電力のことを知るために、君のような人が来るようになったんだ」と嬉しそうに答えた。そして、「住民投票を期に原発についての確かな情報が行き渡ったことはとてもよかった」という。これが住民投票の勝因にもなった。

 「4匹のライオン」では、地元産の自然な食材やモノを使うことに、徹底的にこだわっている。料理のテーマは「ナイフとフォークで環境を守ろう」。野菜は農薬の使用が少ないもの、ワインも添加物の入っていない地元産だ。海外のワインを、わざわざ輸送のエネルギーを浪費し二酸化炭素を出して取り寄せたりはしない。ホテルのベッドは地元の「黒い森」の木材を使ったもので、部屋の電気は全て省エネ仕様になっている。なるべく環境負荷をかけず、しかも地元の美味しい旬の食材を堪能しながら、ゆっくり休めるのがこのホテルのウリなのだ。食堂で、僕はマスのホイル焼きとサラダを注文した。地産地消とエコというコンセプトも一緒に味わうことができて、おいしさが倍になったような気がした。

ウルズラ・スラーデックさん

ウルズラ・スラーデックさん

 ホテルで新たな鋭気を養った翌日、第2回に登場したレナーテさんのご紹介により、ウルズラ・スラーデックさん(シェーナウ電力の代表)との単独インタビューを実現した。ウルズラさんは、2011年に環境保護分野のノーベル賞と言われるゴールドマン環境賞を受賞し、また’13年にはドイツ環境賞も受賞した人だ。電力会社の事務所を訪ねると、非常に多忙ななかでもにこやかに迎えてくれ、私のつたないドイツ語を気遣うように、ゆっくりと話を始めた。

――シェーナウで行われた住民投票の概要を教えていただけますか?

 住民投票をやりたいときには、まず要請を出すことになります。そのためには有権者の15%の署名を集めなければなりません。当然ドイツの人口規模はどこも同じではありませんから、集めなければいけない署名の量も違います。署名を市役所に提出すると、実在していない人が含まれていないか、重複して署名をしている人がいないかを細かくチェックして、きちんと15%に達していれば住民投票が行われることになります。(※1)署名期間は6週間。日付と苗字、名前、住所が必要です。

 住民投票それ自体にかかるお金は自治体が払うけれど、運動に関わるお金はすべて自分たちで用意しければなりません。選挙と同じように投票券が郵便で届き、投票所に行って投票します。選挙との違いは、設問がYESかNOの二択だということ。ドイツでは住民投票が地方自治体でよく行われています。例えば「新しい迂回路の建設について」などです。州レベルでいえば「シュトゥットガルト21」(※2)なんかがそうですね。でも連邦レベルでは行われたことはありません。

※1 日本でいう「常設型住民投票条例」と呼ばれ、ある一定の署名が集まれば議会に否決権がなく必ず住民投票が行われる制度。

※2 バーデンビュルデンブルク州の州都シュトゥットガルト駅の建て替えプロジェクトのこと。莫大な予算がかかるため、2011年に住民投票にかけられることになった。

――政治家が決めることと、住民が決めることには違いがありましたか?

 住民投票をすることによって、シェーナウの市民が賛成・反対、両方の意見を出し合って、家族内でも学校でもたくさん話しをすることになりました。違う意見の人どうしが激しく議論することもありました。政治家だけではなく、みなが議論をすることで、自分の意見を構築していく。その過程を経て、最終的に市民がEWS(シェーナウ電力会社)を選び取った。これが大きな違いですね。そしてこれこそが、生き生きと活気に満ちた民主主義なのです。そもそも政治家がきちんと私たちの意見をくみ取って仕事をしてくれれば、私はここまで関わりませんでした。しかし実状はどうでしょうか、私たちの想いとねじれていることが多いのが現実なのです。

――住民投票当時は保守的、つまり、EWSに反対の議員が多かったのですが、なぜ住民投票では勝つことができたと思いますか?

 実は、シェーナウに住んでいる人たちは、今でもとても保守的です。選挙ではCDU(ドイツキリスト教民主同盟=保守)を選ぶ人が多い。でも、今回の住民投票のようにある事柄に限った場合、全く違った反応をするのです。一つの事柄に限ると、どちらに投票するべきかが、選挙よりも明確になるからだと思います。

――今でも、賛成派と反対派は対立していますか?

 片手で数えられるほどの人はまだ受け入れられないようですが、その他の大多数の人には対立は残っていません。シェーナウ電力は、始めは小さな会社でしたが、今では町一番の大きな会社に成長しました。そのおかげで雇用も増えましたし、営業税はシェーナウ市の2番目に大きな会社の3倍も納めています。そういった直接的な利益もありますし、当然、環境にやさしいという自負もある。間接的にも、シェーナウ電力を目当てにたくさんのゲストが来るので、レストランやホテル、市長も喜んでいます。町の人は「自分たちは正しい選択をしたのだ」と確信しています。

                  ***

シェーナウ滞在最後の夜、スラーデック夫妻と。

シェーナウ滞在最後の夜、スラーデック夫妻と

 このシェーナウという小さな町の選択は「正しかった」のか。脱原発は「正しい」のか。見方を変えれば、正しさも変わる。答えは人それぞれにあるだろう。ウルズラさんは、住民投票には「生き生きとした活気に満ちた民主主義」があった、と言う。それは「正しさよりも大切なもの」なのではないだろうか。もし間違っているとわかったら、正せばいい。「活気に満ちた民主主義」があれば、市民が間違いを見つけ、議論し、選択することができるのだ。

 私は見たい。日本がシェーナウ市民のように「政治家お任せ民主主義」から脱却するときを。住民投票や国民投票を通じて、市民が考え決定する「活気に満ちた民主主義」を実現する姿を。


<<第2回


プロフィール
大芝健太郎(27)旅するジャーナリスト
スイス、リトアニア、ブルガリアなど、ドイツを中心にヨーロッパの住民投票・国民投票を現地取材。「原発」国民投票賛同人。
Blog: http://shibaken612.blogspot.com

2014年7月24日 | コメント/トラックバック(0) |

カテゴリー:その他 海外情報

住民投票で切り拓いた、ドイツ初・市民電力会社の設立: 第二回 シェーナウのまちを訪ねて

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都民投票のスタッフだった大芝健太郎氏が、映画「シェーナウの想い」の舞台となったドイツのシェーナウ市を訪れ、関係者にインタビューを行いました。「住民投票で切り拓いた、ドイツ初・市民電力会社の設立」と題して、3回に分けてレポートを掲載します。第2回目では、実際に訪れたシェーナウの町の様子をレポートします。


町の入口に掲げられた看板

町の入口に掲げられた看板

私は2013年春からハイデルベルク大学付属の語学学校に通っていた。そして訪れた2か月の夏休み。かねてからの計画通り、映画「シェーナウの想い」の舞台を訪れるため、寝袋を持ってコンパスを頼りにとにかく南へと自転車で漕ぎ出した。

いくつかの山を越えながら一週間、ようやく黒い森の南部シェーナウの町にたどり着いた。町の入口には「ドイツの太陽の首都 黒い森のシェーナウ」と看板が掲げられている。名物は「パノラマゴルフ場、ベルヘンランドのハイキング、代替可能エネルギー、草で覆われた谷の大聖堂」であるらしい。長い闘いの末に市民が立ち上げた「シェーナウ電力(EWS)」の扱う代替エネルギーが、今では町の名物の一つになっているのだ。見渡せば、確かに多くの家の屋根には太陽光パネルが設置されており、山の上では発電用のプロペラが風を受けている。夜道を照らすのは、LED電球の光だ。

シェーナウの町の全景

シェーナウの町の全景


映画で見る通り、半日もあれば十分全体を見て回ることができる小さな町である。全景をカメラに収めようとちょっと中心部から離れたところで(ちょうどこの写真を撮っている時だ)、後ろから声をかけてくる女性がいた。レナーテ・シュミットさん。地元在住の芸術家である彼女の作品は、町のいたるところで見ることができる。僕がEWSに興味があるのだと告げると「じゃあ、ウルズラ・スラーデックさんに伝えておくわ」と、EWSの代表の名を言うからびっくりしてしまった。聞けばシュミットさんは、初期の「原発のない未来のための親の会」のメンバーの一人であり、スラーデックさんとはママ友どうしだという。彼女が紹介してくれたおかげで、私はスラーデックさんに単独インタビューをさせてもらえることになった。(このインタビューは次回!)

大屋根一面に太陽光パネルが取り付けられた教会

大屋根一面に太陽光パネルが取り付けられた教会

そんな出会いにワクワクしながら、ぶらぶらと歩き続ける。たくさんの太陽光発電パネルの中でも、特に大きな存在感を放っているのが、メインストリートから山道を上がったところにあるBergkirche(山の教会)だ。まず、それまで私はドイツで教会に太陽光パネルが設置されているのを見たことがなかった。さらにご覧のとおり、南側の屋根全体を覆うパネルはとても大きいものだ。

このプロジェクトは、住民投票の後、ラインフェルデン電力会社(KWR 既存の電力会社)側とEWS側双方の市民の共同出資によって始められた。つまり、住民投票で分断された町民の、和解のシンボルだ。映画の中ではここで教会の説明が終わるのだが、実はこの話には、もっとうれしくなるような続きがある。太陽光発電を設置することによって得た利益で、教会は新しいパイプオルガンを購入することができたのだ。ドイツ人のネーミングセンスは何のひねりもないことが多いのだが、これもご多分に漏れず「太陽のオルガン」という単純な名で呼ばれている。そしてオルガンの上部には、太陽の模様が誇らしげに輝いている。太陽光発電は15年たった今でも元気に稼働しており、どのくらい発電しているのかを、電光掲示板でいつでもだれでも確認することができる。

ゴミ箱には「私たちは核のゴミを後に残しません」のステッカーが

ゴミ箱には「私たちは核のゴミを後に残しません」のステッカーが

歩みを進めるごとに、車や家などいろんなところにEWSのステッカーが張られているのが目に入る。「石炭火力の代わりに温暖化対策を シェーナウからの電気で」とか、「私たちは核のゴミを後に残しません。それに対抗するシェーナウ電力があります」などと書かれている。「核のゴミを残しません」のステッカーが、ゴミ箱に貼られている光景には笑ってしまった。

「EWSに興味があって来ました」と言うと、町の人は嬉しそうに当時のことを話して、親切にしてくれる。観光案内所の前を通ると、町のお祭りのために集まる音楽隊に出くわした。彼らにEWSのことなど聞いていると、「演奏しながらパーティー会場まで行進するんだけど、一緒に来ないか?」と誘ってくれる。そのまま音楽祭と食事会に参加させてもらえたのは言うまでもない。その夜泊まったゴールドマンホテルも屋根に太陽光パネルが載せられていたのだが、私の話を聞いて、また貧乏旅行に同情してか、宿泊料金を割り引いてくれた上に昼食までサービスしてくださり、ありがたくも恐縮してしまった。

観光案内所前に集った、謝肉祭のための音楽隊

観光案内所前に集った、謝肉祭のための音楽隊

「シェーナウのみんなは、EWSを誇りに思っているのよ」という人がいる。なぜ、これほどまでにEWSは人々に愛されているのだろうか。私はその背景に「住民投票」の経験があるのではないかと思っている。最終回(次回)で、そのことをお伝えしたい。映画にも登場したEWSの代表、ウルズラ・スラーデックさんと、ホテル「Vier Loewen(4匹のライオン)」のオーナーシェフ、ヴァルター・カーレさんにインタビューし、住民投票や市民運動などについて聞いた生の声をお届けします。お楽しみに!

「もっとシェーナウのことを知りたい!」という方にはこちらの本をおススメします。

田口理穂 著「市民が作った電力会社―ドイツ シェーナウの草の根エネルギー革命―」(大月書店、2012年)


<<第1回 第3回>>


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大芝健太郎(27)旅するジャーナリスト
スイス、リトアニア、ブルガリアなど、ドイツを中心にヨーロッパの住民投票・国民投票を現地取材。「原発」国民投票賛同人。
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2014年6月18日 | コメント/トラックバック(0) |

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住民投票で切り拓いた、ドイツ初・市民電力会社の設立: 第一回 映画「シェーナウの想い」レポート

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都民投票のスタッフだった大芝健太郎氏が、映画「シェーナウの想い」の舞台となったドイツのシェーナウ市を訪れ、関係者にインタビューを行いました。「住民投票で切り拓いた、ドイツ初・市民電力会社の設立」と題して、3回に分けてレポートを掲載します。第1回目ではまず、映画「シェーナウの想い」を紹介します。


Schönau「シェーナウの想い~自然エネルギー社会を子どもたちに~」これは、私がドイツに行くきっかけの一つにもなった映画だ。ドイツ南西部のSchwarzwald(シュバルツバルト:黒い森の意)の広大な樹林帯にある「シェーナウ」。人口2500人の小さな町が、その舞台となっている。ごく平凡な町が、2回の住民投票を経て民意に従い、地元の電力独占企業から独立。市民が再生可能エネルギーの電力会社を設立するまでを描いた、鮮烈なドキュメンタリーである。

発端は1986年、絶対に起こらないとされていた原発事故がチェルノブイリで起こり、2000キロ離れたシェーナウにも放射性物質が飛来。子どもを外で遊ばせることや、庭の野菜を食べることができなくなった。問題意識を持った地元の親たちが「原発のない未来のための親の会」を立ち上げる。その中の一人、ウルズラ・スラーデックさんは「正直言うと、事故が起こるまで、原発について真剣に考えたことなんてなかった」と語る。日本人の大半も、そうなのではないだろうか。

彼女たちは地元の独占企業、ラインフェルデン電力会社(KWR)に要求を出した。それは、「脱原発」「エコ電力の買い取り価格引き上げ」「節電を促す電気料金プラン」の3つだ。しかし、他の電力会社を選ぶ余地のないこの地域では、KWRは自ずと強気になる。彼らの要求は冷たくあしらわれた。

そんなKWRのシェーナウ市との契約が、4年後にいったん切れる。警戒したKWRは、前倒しの更新が行われた場合、市に10万マルク(約500万円)を提供するという魅力的な提案を持ちかけた。反対派住民は、彼らに代わって市に同額を渡せるよう、わずか数週間で集めきってみせた。だが市議会では市長と保守政党が賛成にまわり、前倒しで契約することが決まってしまう。しかし反対派は諦めることなく、住民投票を要請。最終的には投票によって決められることになった。

前倒し契約の反対派は、有権者に関心を持ってもらい理解を得るために、Tシャツを作ったり、チラシを配ったりした。バンドを組み、自分たちの想いをビートルズの曲にのせて伝えた。一方、KWR側は「もし、電力網が住民側に渡れば、シェーナウの明かりは消え、仕事はなくなるだろう」と不安をあおる。住民は賛成・反対に分かれ、家庭や市議会の中だけでなく、町のいたる所で「電力議論」がなされた。そして1991年10月27日、住民投票の結果は、反対派が55.7%で賛成派を上回り、前倒し契約は取り消さることとなった。

シェーナウの住民グループは「シェーナウ・環境にやさしい電力供給のための支援団体」を発足し、全国の支援者に情報を発信。電力セミナーを毎年企画して、多くを学び、また励ましも受け、ついに住民発のシェーナウ電力会社(EWS)が誕生する。

その翌年の1995年、シェーナウの今後の電力供給会社が、市議会で決定されることになった。議員の過半数はEWS側だ。「電力供給の認可契約をEWSと結ぶ」という議案に対し、賛成6、反対5でこの議案は可決される。しかしKWR側はあきらめない。「住民に信を問いたい」として、2度目の住民投票に持ち込んだ。

この住民投票には、お互い非常に力が入った。チラシは毎週両者から配布され、紙面上でも大いに議論が交わされた。KWR側は不安を駆りたてることに成功し、住民の中には「素人では、今までのように確実に電力を供給できないのでは?」と考える人もあらわれた。

一票が結果を左右するこの住民投票では、住民全員に働きかけることが重要である。EWS側は多くの人に集会場に来てもらおうと、民族音楽会、老人会、医師による講演会などを開催。オリジナルのロックミュージックも作った。持ち上がった企画を一つずつこなすと同時に、戸別訪問も精力的に行われた。住民は、忙しい中でも説明に来た人を家の中にまで招き入れ、熱心に話を聞いた。そして、ついに運命の1996年3月10日がやってくる。投票率は国政選挙を上回って約85%にまで達し、結果は僅差でEWS側が過半数を得た。歓喜に沸き抱擁し合うEWS側住民。彼らの頬を伝う涙に、長かった道のりの苦労が透けて見える場面だ。

KWR側だった市民、ハーゲンナッカーさんは言う。「KWR側が勝つことを想定していました。正直に言うとある程度確信がありました。わずかな差での(EWSの)勝利でしたね。今となってみれば、それがシェーナウにとって逆に良かったと思います。EWSが長年やってきたことは、この地域にとって高く評価されるべきだからです。そして実際に良い評価を得ています。」

1997年から、シェーナウの電力網はEWSが管理している。収支面でも環境面でも順調で、電力供給は安定し、料金には競争力がある。そして、原子力・石油・石炭を全く使わないエコ電力を供給している。

政治家に任せるのではなく、運動のリーダーに任せるのでもない。市民が戸別訪問などを重ね、一人、また一人と仲間を増やす。そうしてシェーナウは、町全体でとことん議論を重ねた。住民投票の結果を尊重し、賛成派も反対派も共に歩んでいく姿は、私たちに共感を呼び起こし、希望と力を与えてくれる。

無料で上映会などもできるDVD貸出窓口などはこちら↓
http://www.geocities.jp/naturalenergysociety/


第2回>>


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2014年4月24日 | コメント/トラックバック(0) |

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ボランティア募集(Web & 読み物編集部)

会の活動に参加してくれる、以下のボランティア・スタッフを募集します。

できる範囲で参加をしてもらえれば構いませんので、少しだけでも手伝えそうな方は、
以下のメールアドレスまでご連絡ください。

e-mail :info@gkokumintohyo.com

現在どちらのチームも人手が足りなく、火の車状態です。

一人一人の小さな力が積み重なってはじめて、会の活動を継続し、広めていくことができます。
「原発」国民投票を実現したいという方は、ぜひ活動に参加してください。

(1)Webチーム

ホームページの更新、運営・管理をするWebチームのメンバーを募集します。時間の空いているときに随時作業ができ、簡単なHTMLが理解できる方を求めています。現在フルタイムの仕事を持つ2名で対応しており、ホームページ更新を迅速に行えないときがあります。手伝えるかも、という方は、ぜひご連絡ください。

(2)読み物編集部

「読み物編集部」ではこれまで、賛同人リレーメッセージと題した連載を16回に渡りホームページに掲載し、その一部は書籍『原発、いのち、日本人』 (集英社新書) にも掲載されました。

最新のリレーメッセージとアーカイブ

この度、新たな部員を募集します。企画、著名賛同人との連絡、インタビュー、文字起こし、校正などの一連の編集に関わっていただきます。リレーメッセージに限らず、新たな「読み物」も企画していく予定です。

書評:『原発、いのち、日本人』(集英社新書)

『原発、いのち、日本人』は、今年の1月17日に発売された書籍で、以下の執筆者はすべて<みんなで決めよう「原発」国民投票>の賛同人です。

・浅田次郎(作家)
・藤原新也(写真家・作家)
・ピーター・バラカン(ブロードキャスター)
・レーナ・リンダル(持続可能なスウェーデン協会理事)
・辻井 喬(詩人・作家)
・豊竹英大夫(文楽・太夫)
・野中ともよ(NPOガイア・イニシアティブ代表)
・想田和弘(映画作家)
・谷川俊太郎(詩人)
・構成 今井一(ジャーナリスト)

当会の「読み物編集部」スタッフが執筆した書評をご紹介します。(この書評は、参院選前に書かれたものです)

『原発、いのち、日本人』(集英社新書)
『原発、いのち、日本人』(集英社新書)

2011年3月11日、日本観測史上最大の地震、大津波によって引き起こされた福島第一原子力発電所の事故。私たちはこの事故から何を学び、どこへ向かって歩んでいけばよいのか。本書は、ジャーナリスト今井一が当会の著名賛同人9名にインタビューをおこなってできたものだ。原発・エネルギー問題、日本社会や日本人の問題点と可能性、今後取るべき方向性など、内容は多岐にわたる。

特に興味深いのは、なぜ日本に54基もの原発が作られたのか、なぜ事故が起こったのかだ。事故後、しばしば産官学による「原子力ムラ」の閉鎖性や利権体質が糾弾されてきたが、はたしてそういった一部の人々の力だけで54基も原発を作れるものなのだろうか。やはり「どこかに無言か有言か、積極的か、それは別にして、とにかく民主主義という体制をとっているこの戦後の日本の多数派が同意署名してきた」(想田和弘)のではなかったか。「お上は自分を庇護してくれるものだという意識」(藤原新也)から、原発は安全だ、などと主張する国をさして疑わず、時には進んで信じてきたのではなかったか。「原子力ムラ」の住人だけでなく、「普通の人々」である私たちも原発を受け入れ、支えてきたという面があることも忘れてはならないだろう。

さらに、日本にメディアについての考察も興味深い。海外メディアが事故直後からメルトダウンの可能性を指摘していたのに、日本のメディアは事実を隠して言わず、数か月後にやっとそれを報道したことには、「白々しさといったらない」「僕は許せない」「馬鹿にしています」(ピーター・バラカン)と手厳しい。残念ながら日本のメディアは、「思想の大本営の発表機関に成り下がって」(野中ともよ)しまっていると言わざるを得ないだろう。

だがインタビューを受けた9名が語るのは、日本人の問題点や過ちだけではない。再認識された日本人の良いところや、新たな可能性、変化の兆しについても取り上げている。たとえば、3.11の後、略奪や放火、治安悪化を起こさなかった「日本人は捨てたものではない」(辻井喬)し、地方自治体のトップにリーダーシップを持った人がたくさんいた事は「日本人でも驚きだった」(辻井喬)だろう。また、原発事故後あいついでいるデモは、動員され組織化された従来のデモとは異なり、「個人として何か思いのある人が、しっかりとした気持ちで」(藤原新也)集まっているものだとして評価している。このような市民による自然発生的で自発的なデモは、「これまで日本に住んでいて見たことがない」(レーナ・リンダル)し、「これほど日本人が政治的に覚醒しつつある時代は、ちょっとない」(想田和弘)のではないか。年齢・性別を問わず、さまざまな人々が主体的にデモを生み出したことに、あるいはデモに参加することを通じて人々が個としての意識を獲得しつつあることに、日本の新たな民主主義の可能性を見出している。

そしてデモに加え、原発稼動の是非を巡って住民投票を求める直接請求運動が各地で起き、当会も主体的に関わってきた。大阪、東京、静岡、新潟と法定署名数を大きく超える署名を集めながらも、提出した住民投票条例案は、最終的にいずれも議会で否決されてしまった。しかし、この結果だけを捉えてネガティブに受けとめるのは適切ではないだろう。「市民みんなで決めて責任も取りたい」(豊竹英大夫)と請求代表人を引き受けた人々、受任者として署名を集めた人々、そういった一人ひとりの市民の政治参加への覚醒が、一連の運動には包含されており、いまもなおその旅路は各地で続けられている。

3.11以降、何とかしなければならないという一心でさまざまな活動をしてきた人々のなかには、昨年の衆議院選挙の結果を受けて、失望感や無力感にとらわれている人もいるかもしれない。しかし、本書を読めばわかるように、いま私たちに求められていることは、「僕らはチャンスを与えられた」(浅田次郎)と考え、3.11を契機にせっかく芽生えた新たな可能性と変化を、今後どのように開花させ、活かしていくのかということではないか。「一回二回で即効力ある解決など望める訳は」(野中ともよ)なく、「社会自体が変わるのには時間がかか」る(野中ともよ)のだ。目に見える結果に一喜一憂せず、各自の中に芽生えた「言葉でもうまくつかまえられないような意識下の変化」(谷川俊太郎)をしっかりとたずさえながら、一歩一歩前に進むべきだ。本書は、過去の反省に立ちつつ、未来に向けてどのような行動をとっていけばよいのか、どのような心構えが必要なのかを一人ひとりが考えるためのヒントと手がかりを、必ずや与えてくれるはずだ。

                           みんなで決めよう「原発」国民投票
                           事務局スタッフ/読み物編集部員 木下淳

2013年8月11日 | コメント/トラックバック(0) |

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