【5/10 イベント報告】 署名提出後に市民はどう動いたか – 東京、大阪、静岡の経験を茨城へ
5月10日(日)14時から、「署名提出後に市民はどう動いたか – 東京、大阪、静岡の経験を茨城へ」と題したZOOMを使用したオンライン・イベントを開催しました。
当会としては初のオンライン・イベントになり不安もありましたが、日本各地から約35人が参加し、無事に執り行うことができました。
茨城の状況報告
最初に、徳田太郎さん(いばらき原発県民投票の会 共同代表)から茨城県民投票の状況について報告をしていただきました。署名集めは1月6日に開始され、選挙の影響を受けて署名期間がずれた地域も4月12日に活動を終了し、法定署名(有権者の1/50)約4.8万筆を大きく上回る90,909筆の署名が集まったことが報告されました。また、5月25日に県知事あてに直接請求を実施し、6月8日に始まる県議会で審議されるという今後のスケジュールもご説明頂きました。
- 茨城の運動の最新情報や詳細については、 いばらき原発県民投票の会Webサイト をご覧ください。
東京都民投票
東京「原発」都民投票のパートでは、当会運営委員長の鹿野(筆者)がまず当時の様子について報告しました。署名期間終了後に、各地域が企画して多くの交流会や学習会が開催されたこと、電話、手紙、ハガキによる都議へのアプローチを促すキャンペーンが行われたこと、また多くの受任者が都議に面談に行ったこと、民主党が賛成にまわり修正案を提出したことなどが報告されました。また、当時民主党から選択肢を2択から3択に変える案が提示されていたことも明かされました。
その後、都民投票時に赤坂事務所のスタッフだった石崎大望さん(当会の東京運営委員)の司会で、請求代表者だった高田恵理さん、高橋直己さんのお2人を中心に、他の都民投票スタッフ、受任者も参加し、座談会が行われました。高田さんからは、面談中に自らの選挙に影響があると気づいた都議の「顔色が変わった」ことや、最初は「国が決めることだ」と言っていた議員が市民からの多くのアプローチを受けた結果、住民投票は「大切なことである」と言い出したことなどが語られました。
都民投票だけでなく無防備平和条例運動でも請求代表を務めた高橋さんからは、「議員が偉いという感覚で対応する必要は無い。市民と議員は対等なんだ」「議員にお願いするのではなくて、市民が請求する」という議員にアプローチする際の心構えが披瀝されました。一般の市民による熱のある、迫力のある動きは、多くの都議にとっても経験したことがないようものだったようで、プレッシャーを与えていった模様が振り返られました。
- 直接請求当時の都民投票運動のブログが現在「原発」都民投票の会のブログとして活用されており、当時のブログの内容をご覧いただけます。
大阪「原発」市民投票
次に、大阪「原発」市民投票については、大阪「原発」市民投票運動の事務局スタッフだった森恭子さん(当会の副運営委員長)から報告があり、請求代表者だった松村志保さんからもお話を伺いました。
森さんは、大阪の活動の特徴の一つとして、多様な個性を持つ人が参加したことを挙げました。たとえば、32人いた請求代表者の職業の一覧を見るだけでも、日雇い労働者、フリーター、牧師さん、映画監督、NPO代表などがいて、その多様性が見て取れたといいます。
ロビー活動時には、「がれき(災害廃棄物)受け入れ問題」が大阪市における大きな政治課題になっていました。議員さんに面会したときに「がれきの話ばかりしちゃった」という話があったときに、当時は「それはないだろう」と批判する意見もあったが、多様な考えを持つ市民が人として議員に本音でアプローチするという姿は「ありのままの私たちだった」(松村さん)ので良かったのではないか、と二人で振り返りました。
本会議採決後には、「議員評価シート」を作成して配布したものの、その内容をめぐり会の中で意見が割れ、「空中分解的になってしまった」といいます。たとえば、面会できただけでなく事後のやり取りも含めて丁寧に対応してくれたものの党の決定に従い議会採決で反対した議員をどう評価するか。一方、面会もできず特にやり取りもなかったが、議会採決では賛成した議員をどう評価するか。そのあたりで意見が激しく対立したとのことです。
そんな風に「最後、みんなでフィニッシュを切れなかった」(森さん)ため、その後みんなで運動を振り返る機会も持てなかったと言います。当時のことは今でもまだ「痛かった」(森さん)、「傷跡が残っている」(松村さん)と思い返していました。ただ松村さんは、「今からでも振り返りというのを大阪でも出来たらいいのかもしれない」と語っていました。
原発県民投票静岡
原発県民投票静岡のパートでは、まず、当時事務局次長を務めていた中村英一さん( 原発県民投票静岡2020 代表。当会の静岡運営委員)から署名提出後の経緯について説明がありました。特に、川勝知事が賛成を表明してから、静岡新聞、中日新聞、4局ある地元のテレビ局といった地元メディアの報道量が劇的に増えたことが紹介されました。たとえば、お茶を作っている若い農家の人たちにグループを作ってもらい県議会に要望を出すと、それが幅広くメディアに取り上げられるという状況があったそうです。そんな中、静岡では富士宮市の人たちが県議と語る会を行うことになり、その影響を受けて静岡市でも清水区、駿河区・葵区でそれぞれ県議と語る会が行われました。
清水区で県議と語る集いを何回か企画した北本智春さんは、県民投票の前から右か左かという政治的な区分けを越えて区内で市民活動をしてきました。その活動の中で県議との人脈があったため、集いに県議を呼ぶことがやりやすかったと語りました。県民投票運動は「保守もリベラルも関係がない」運動なわけだから、「保守系、自民党ともアクセスができる人を会の中に抱えておくこと」が大切だと力説しました。また、署名収集後のアプローチを考えると特に、反対運動の活動だと見做されないことの重要さを強調しました。
駿河区・葵区で集いを企画した久保田誠司さんは、「茨城の活動のゴールをいま一度考えてもらいたい」という主張を展開しました。原発関連のこれまでの住民投票運動を調べたところ、一度ダメでもしつこく運動を継続することが住民投票の実現へと結びついています。議会で否決されてからでは脱力感が強くなり次に向けて話をまとめることが難しくなるため、「ダメだったら」どうするかを今の段階で考えておくことが大切だと力説しました。久保田さん自身は、条例案が議会で否決された後に「原発県民投票2」を実施しようという提案をしたものの、会の中で賛同を得られなかったそうです。またその後、「県議と対話する会」を引き続き行い冊子にまとめたり、哲学カフェという団体と共同で原発県民投票について考えるイベントを開催したりと、活動を継続しています。
- 静岡の活動の記録は、原発県民投票静岡 活動記録集というWebサイトにまとめられています。また、原発県民投票2020のFacebookページもご覧ください。
おわりに
東京、大阪、静岡の直接請求から約8年が経過する中で、今回のイベント開催は、当時を振り返る良い機会になりました。 他団体の運動へと経験を継承するだけでなく、今後の私たち自身の活動に向けてヒントを見出すためにも、過去をしっかりと振り返る活動を継続していくことの大切さを、改めて実感させられました。
また、茨城では5月25日に県知事に対して直接請求の本請求が実施されました。引き続きその動きを注視するとともに、応援していきたいと思います。みなさんもSNSでの情報拡散など、ご協力をお願いいたします。
(鹿野)
2020年5月24日 | コメント/トラックバック(0) |
カテゴリー:活動予定