「原発」住民投票条例案の審議におけるよくある否定意見と反駁

2022年1月4日
みんなで決めよう「原発」国民投票・運営委員長 鹿野隆行

2021年の12月23日に鳥取県境港市で、12月24日に鳥取県米子市で、島根原発の稼働是非を問う住民投票を求める直接請求の署名が選挙管理委員会に提出された。両市とも島根原発の30キロ圏内の自治体である。また、島根原発の立地自治体である島根県松江市では、2022年の1月4日に選挙管理委員会に署名簿が提出された。

何れの市でも、直接請求は成立して、1月から2月にかけて住民投票条例案の議会審議が行われる見込みだ。それに先駆けて、「原発」住民投票条例案の議会審議におけるよくある否定意見とそれに対する反駁をまとめてみた。

3つの分類

住民投票条例案を否定する意見は、大まかに次の3つに分類できる。

1. 住民投票という制度そのものの否定
2. 当該の課題について住民投票をすることの否定
3. 当該の条例案の否定

もちろん、実際にはこの3つがオーバーラップするような主張が展開される。それぞれの類型について、順番に見ていこう。

1. 住民投票という制度そのものの否定

この類型の一番典型的な主張は、「1.1 日本は代議制民主制を採用しているので、直接民主制はそぐわない」というものだ。これは、日本の政治についての明らかな理解不足、誤認識に基づく主張である。確かに日本の政治は代議制を基本としているものの、(a)憲法改正時に国民投票が求められること、(b)憲法95条に規定されているように一地方に関わる特別法の制定時には住民投票が求められること、(c) 直接請求という直接民主主義の手法が地方自治法に規定されていることの三点からも分かるように、日本の政治には直接民主制の要素が組み込まれている。「代議制民主制を日々の政治運営の基本としつつ、本当に大事なことは直接民主制で決める」ということは、日本の政治制度の根本原理の1つだ。そしてこれは、日本に限らず、全世界ほとんどの現在の民主政体に共通のことである。

この類型に当てはまるもう一つの主張は「1.2 住民の意見を諮る方法として、住民投票よりも優れた方法がある」というものだ。茨城のときは、パブコメや大規模アンケートの方が優れているという主張が議会で展開されたが、なぜどこが優れているかということは一切説明されなかった。そんな説明は不可能だからであろう。本気でこれが正しいと考える者は、憲法改正も国民投票ではなくパブコメや大規模アンケートで決めるべきだとぜひどこかで主張してもらいたい。

2. 当該の課題について住民投票をすることの否定

この類型に該当する主張としては、「2.1 原発稼働の賛否には、多数決で決める住民投票はそぐわない。議論が必要だ」というものがある。松江市の上定市長が12月の定例記者会見で「入り組んだ情勢がある中、多数決で決めるのではなく、いろいろな議論をしたうえで、しっかりと意思判断をしていくのが必要な局面が多い」と発言したのは、この類型に当てはまる。

しかし、多数決と議論を両立し得ないものとして二項対立で捉えるのは間違っている。議会審議でも住民投票と同様に最終的には多数決が実施される。また住民投票は世論調査とは異なり、実施決定から公示を経て投票をするまでの間に一定の議論がなされることを前提としている。多数決と議論は、間接であろうと直接であろうと、近代民主主義においてセットで存在するものである。

確かに、住民投票において議論の中身が貧困なものになってしまうリスクはある。ただしこれは、広報や状況提供などで行政が積極的に関与することや、地方議員が議論に参加することなどで十分に回避可能だ。また、島根、鳥取両県において既に原発関連の報道が盛んであることを考えても、議論が盛り上がらないことは考えにくい。さらに言うならば、貧困な議論というリスクは議会審議についても当てはまることである。討論、熟議がいつも充分にできていると自信を持って言える地方議員は、果たしてどれだけいるだろうか?

もう一つの主張として、「2.2 賛否が分かれる原発について住民投票を実施すると、市民が分断される」というものがある。これは、愛媛県八幡浜市で伊方原発の賛否を問う住民投票の直接請求がなされたときに市長意見として附されたものだ。しかし、行政、政治がパターナリズム(父権主義)をむき出しにしてこのような心配をする(または、している振りをする)地方と、市民が意見の違いから目を逸らさずに、逆にそれに向き合い、話し合い、未来を選んでいく地方と、果してどちらが人口減少時代を乗り越えていけるだろうか?もちろん、後者であろう。

また、「2.3 住民投票の実施は、私企業の決定に対する不当な介入に当たる」という摩訶不思議議な主張が、宮城でも茨城でも議会審議で展開された。住民投票を実施しようがしまいが、電力会社との協定に基づいて立地、周辺自治体には再稼働について賛否の意見を述べる権利がある。なぜ住民投票を実施した場合にだけその意見表明が不当な介入になるのか意味が分からないし、協定を結んでいるにも関わらず電力会社が不当な介入と主張することはありえないだろう。もし本気で不当だと思う議員がいるのなら、その議員は住民投票を非難するのではなく、「電力会社との協定が不当だ。立地、周辺自治体から意見表明権を剥奪すべきである」と訴えるのが筋だろう。

3. 当該の条例案の否定

住民投票の実施には賛成するが当該の条例案には反対する、というのがこの類型である。「3.1 条例案の技術的な不備を指摘する」というのがその典型例の1つだ。静岡県民投票のときに川勝知事が条例案の法制度上の「不備」を幾つも指摘したのが、分かりやすい例だろう。また、八幡浜市長も文言レベルの軽微な不備を指摘して、条例案に反対の意見を附す際の理由の一つとした。これに対しては、議会の中で修正を検討してください、ということに尽きる。住民投票運用にまつわる技術的な状況や文言を変更することに、請求代表者も受任者も意義を唱えることは考えにくい。

もう一つのパターンは、「3.2 住民投票の実質に関わるような条項を否定する」ことだ。たとえば設問の選択肢(2択なのか、3択なのか)、投票権者や成立要件、実施時期が問題点として指摘されることが過去にあった。ただし何れも、「原発稼働の是非について住民投票を実施する」という直接請求で求められた本旨から外れるものでない限り、議会で調整が図られるべきことであろう。

なお、条例案に問題があるだけで住民投票はすべきだと思っているのなら、市民提案の条例案が否決された場合に、後の議会で市長提案、議員提案という形で住民投票を提案することも可能である。それをしないのであれば、条例案の不備や条項の否定は、住民投票に反対するための方便だったと見なされても仕方がないだろう。

誠実で論理的な議論を

2011年の福島第一原発の事故以降、大阪市、東京都、静岡県、新潟市、八幡浜市、宮城県、茨城県と「原発」住民投票条例案の審議が行われてきた。しかし残念ながら、これらの議会審議では上記のような不誠実だったり、非論理的だったりする主張が繰り返されている。

これから境港市、米子市、松江市で行われる島根原発稼働の是非を問う住民投票案の議会審議では、各議員が市民の署名の重みをしっかりと受け止め、また過去の各地での議会審議も踏まえた上で、誠実で論理的な議論を展開することを期待する。

2022年1月4日 | コメント/トラックバック(0) |

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