リレーメッセージ「第11回 笹口孝明(元新潟県巻町 町長)後編」

笹口孝明さん後編トップ

日本で最初に住民投票を行なった新潟県巻町、しかもテーマは「原発」。インタビュー前編では、巻町で住民投票を行うに至った経緯と、住民投票に対する笹口さんの考えについて伺いました。
インタビュー後編では、「原発」住民投票後の巻町や人々の様子について聞きます。


記事中、笹口さんは「笹口」、遠藤さんは「遠藤」、大芝さんは「大芝」、今井一は「今井」、と表記しています。


遠藤:私はずっと巻で育ったんですが、実は原発がどうとか、住民投票がどうとかこれまで一度も考えたことがなかったんです。でも、最近、小さい頃一緒に遊んでた印刷屋さんのIさんの家の人たちが原発推進だったという話を親から聞いてびっくりして。なんか、ちょっとリアルに当時の状況がイメージできました。
 大学に入って勉強し、大人になって初めて、あの住民投票の意義がちゃんと理解できるようになり、今になってわかるんですけど、あの時に懸命に動いてくれた、たくさんのみなさんがいたからこそ、今の巻町があるんだなあと思って。そういう選択をしてくれたことがすごく嬉しくて。だから私はこの巻町が自分の故郷っていうことを、すごく誇りに思っています。


笹口:さっき遠藤さんが名前を出したIさんのエピソードを2つ話しますね。一つはね、私、ライオンズクラブに入っていたんですよ。Iさんも今商工会の方をやっているんですけど。

遠藤:ああ、Iさんのおじいちゃんですね。

笹口:そう、その人が、後に原子力懇談会の会長さんになった人だったわけだけれども、そのときIさんも私もライオンズクラブに入ってました。ライオンズクラブというのは政治活動をしちゃいけない組織なんです。それで、私は「巻原発・住民投票を実行する会」の住民運動は政治活動じゃないと思ったけども、やがて候補者を立てて議員さんを議会に送り込むような状況になり、見方を変えれば、私も政治の世界に首を突っ込んだことになると思いました。
 ライオンズクラブのなかに政治に関わる人間がいる、それも選挙運動の責任者になった人がいるのはよくないと思い「辞める」と言ったんですよ。そしたら、「辞めるな」って止めたのがIさんだったんです。
 なんでかっていうと過去にも議員さんやってた人、選挙に出たことがある人がいたりして、笹口さんがやめると筋が通らなくなるから辞めないでくれと。まあ、結局辞めるのに二度失敗して、三度目にはいきなり辞表を出して辞めましたけどね。
 「実行する会」の代表と「原子力懇談会」の幹部との間でそういうやりとりがありました。だから別に、その、いがみあってつかみあいの喧嘩をしていたわけじゃない状況だったんです。そして今、Iさんは商工会の会長さんをやっています。その商工会長さんが、ある時ね、まだ福島の原発事故が起こる前だけど、「笹口さん最近また、あのとき原発つくっとけばよかったよねっていう声がだんだんまた高くなってきているよね」って私に言うんですよ。


一同:

笹口:「そうですか、私の周りにはつくらなくてよかったという人の声のほうが多いんですけれど」と私は言うんですけど。だからね、彼はカマをかけて私に言ってるわけじゃなくて、心底そう思ってて、そう言うんですよね。景気が悪いでしょ。だから商売も先細りしたり。原発建設があれば受注したりできたのが、また期待されると。あの頃とはまた違った形で原発についての期待感が増してきているんだと、彼は言うんです。ところが私には「原発」やめてよかったねって声がいっぱい届いているんで。そのギャップが面白いなと思うんですよ。

今井:悪気はないんだけど、本気で思ってるんですよね。

巻町住民投票の様子

巻町住民投票の様子

笹口:そう。本気で思うから私に言うんですよね。結局、なんていうかこう立場が変わると、入ってくる情報がそっちの経路の情報しか入ってこなくて、まわりの意見もそういう意見。私もある意味では狭いのかもしれないね、そっちのIさんに入ってくる情報が入ってこないで、原発やめてよかったよかったという情報だけが私にまわってくるからね。私に入ってくる情報も一方的。ほんとうの世間に入ってくる情報はなんなのかね。まあちょっとわからないけれども。だからIさんでも私でもない、普通に生活している人が一番正しい情報が入ってきてるんじゃないかな(笑)。「みんながこう言っている」とかよく言うけれど、「みんな」って誰だ?って子どもによく言いますよね。情報源はどこからなんだと。あなたに情報を入れなかった人は「みんな」のうちに入らないのかと。
 当時、明らかな原発推進の人っていうのは住民投票っていうのは嫌なんですよ。もう体制としてできあがりつつある中で「みんなで決めよう」となると困るから。だから私たちは原発反対運動をしていたわけじゃないんだけれども、みんなで決めようと言ったから、あんまり快く思われてなかったかもしれない。けれど、最近そういった人たちに会うと、少し態度が変わってたりするんですよね。例えば、蕎麦を打っている人なんだけど、この前、町の新蕎麦祭りでその人たちの蕎麦を食べに行ったんですよ。実は次に巻観光協会が主催する「郷土の料理とお酒を楽しむ会」に行くと、またその人と会うわけですよ。そしたら向こうから積極的にね、「笹口さんまたあの郷土の酒のときによろしくね」と言われる。そういう「こだわり」を抜きにして、そこで一番大事なのはその人とは一度も喧嘩したわけじゃないでしょ。人間として付き合ってて、ただ考え方や主張が違うだけで、だから考え方や主張が違う人と喧嘩しちゃいけない。そうやって時間が経ってくると、また仲良しになれて。普通の、逆に親しい関係になるかもしれないし。


今井:そうなんですよね。考え方が違うこと、主張が異なることを楽しまないとね。日本人は、特に日本人の市民運動家はこれが苦手かもしれない。

笹口:だから、遠藤さんが小さかったときに一緒に遊んでたというのもね。

遠藤:毎日遊んでましたね。

笹口:そう、本人に関係ない話だし、たとえ本人に関係あったとしても、仲良くしてたのを思い出してつきあいを継続したほうがいいと思うんだよね。「原発」に賛成か反対かということに囚われる必要はないです。

今井:遠藤さん、ありがたいお言葉ですね(笑)。大芝くん、何か伺いたいことがあれば。

大芝:住民投票をする前とした後で一番何が変わったかというのをお聞きしたいなと思って。例えば、その後の選挙だったり政治意識の高さだったり。民度が上がるっていうのを住民投票やったところでは聞くんですけど、実際にその政治意識とか、そういうことって何か感じられることがあったら…。

笹口:あのねぇ、巻の住民投票が終わったあとに、マスコミのみなさんだとか学者のみなさんが来たりだとかしましたからねぇ。卒論書く人もけっこう来たり。だからそういう意味で、巻町は民主主義の学校だと。ありとあらゆることをやったわけですよね、選挙、リコール、直接請求、そして人権擁護委員会、裁判だとか、主権者としてやれることはみんなやりました。

今井:時間とお金と労力を費やして。

笹口:そう。ほんとに色々なことをやって、「民主主義の学校」だとか言われたけれど、巻町民が一番望んでいたのは「普通の町」になりたかったっていうこと。これが一番の話で、言いたいことが言えない、原発の話は差し障りがあるからできない、でもひょっとしたら自分の考えとは違う方向に、それも意思表明する機会もないまま、ぐーっとなんかいっちゃって、一生自分の思いを閉ざしたままでいなければならない町になっていたかもしれない。だからそういうのが普通に、私はこういう考えですって言えて、あんた違うのね、ってお互いに言い合えて、でも結局私の考えもあるし、あんたの考えもあるし、また別の人の考えもあるしって、それらをまとめて整理した上で、町の方向なり行政が動いてくれればいいねって。それが普通の町ですよね。それをみんなが望んでいたんです。
 ただ原発のことに関しての意識はどこの町のどこの住民よりも、場合によったら資源エネルギー庁の人たちよりも高かったかもしれない。資源エネルギー庁のS室長さんっていう人が巻に来てね、巻町(まきまち)と言わずに巻町(まきちょう)の人はね、まきちょうの人はね…なんて言ったりしてたけど。
 その資源エネルギー庁の人が巻にきて、原発のについて町民に講演をしたことがありました。それをテレビで見ました。推進派の人しか会場に行ってないんだけど、その推進派の人たちから非常にクレームが出ていました。


今井:どんなクレームですか。

笹口:「そんな易しい初歩的なことばかり言うなら、この町に来るな」というクレーム。そんなふうに推進派の人たちが言ってるんですよ。巻町民というのはあまり知識がないから、この程度の話をして教育しようと思ったんでしょうけれども、そんなどころじゃない、Sさんが知ってるような何倍もの知識や情報を町民は持っていたわけです。

今井:それは、ずっと昔からそうだったわけじゃなく、住民投票で決めるとなったからですよね。

笹口:そうです。自分たちで町の将来を決める。だから、すごく勉強したんです。ただし、勉強したけれども、なりたかったのは「普通の町」。「普通の町」になりたかったの。当時は進んだ町として、なんかいろんな提案をしたり、動きも少しはあったけれども、そういうのも消えていって、結局普通の町に戻ったと。何事もないような町に最後は戻った。
 ただ、あの、なんていうんでしょうかね。普通の町に戻ったんだけれども、自分たちで自分たちの将来を決めたという自負というか自信というか、この事に対しては自分たちが一生懸命に勉強して自分たちが決めたんだという満足感や誇りを持ったんじゃないかなあと。
 で、私たちの「実行する会」の仲間で田畑護人さんっていう人がいるですが、彼がね、「よく原発誘致して活性化をっていうけど、町の活性化ってなんだ?」って。「住民投票こそが町の活性化」だって、彼はそういうわけ。活性化っていうとね、なんかいっぱい箱モノをつくったりして、いろんな事業がきたりして、経済的に良くなれば活性化なのか。それともイベントやスポーツや祭なんかやったりして盛り上がって楽しければそれが活性化なのか。
 私が浜岡原発に見学に行った時に、浜岡原発が3号機だったのか、それとも4号機だったのかちょっと忘れたけれども、何号機をつくって町を活性化しようっていう垂れ幕がかかっていましてね。私はそれを見て、ええって思いました。巻はね、推進派の人たちが1号機をつくって活性化しようとしたのに、ここは3機までつくってまだ活性化してないのかよと、びっくりした記憶があります(笑)。


今井:福井は14機もつくっても活性化していないという(笑)。

笹口:活性化ってなんなのかっていう、私は未だに結論はわからないけれども、あの酒屋の田畑さんは住民投票こそが活性化だと。自分たちで自分たちのことを決めた、そのために一生懸命に考えた。場合によっては家族と口論になったりしながらも、自分たちのことを決めていったという。それを活性化じゃないかというふうにあの人は言うんだけど、どうなんですかねぇ。

今井:私もそう思います。さすがは田畑さんですね。

新潟日報1996年8月5日一面記事

新潟日報1996年8月5日一面記事

遠藤:あの、私もずっと巻に住んでいて、巻って本当に普通の町だと思っていたんです。巻町の住民投票のこと調べようと思ってから、今井さんの本を読んだり、当時の新聞を読んだりしたんですけれど、1996年8月5日、住民投票の次の日の新聞を見たら『新潟日報』だけじゃなく、『朝日』も『毎日』も全国紙が、巻のことを一面トップで大きく載せていて、それを見て感動したんですよ。まさか自分の育った巻町がこんな…

今井:扱いを受けていると。

遠藤:そう。びっくりして、本当に震えて。で、福島の事故が起こって、原発の問題とか住民投票とか国民投票に関心が高まっている中、巻町がまたスポットライトを浴びてもいいんじゃないかなと私は思っているんですが、笹口さんはそれについてどう思われますか。

笹口:あの、昨日映画(『渡されたバトン〜さよなら原発』(池田博穂監督))撮影の人たちの会で、乾杯の音頭の前にちょっと挨拶してくれって言われたから行ったんだけどね、私が町長やめて県内のどこかの街を歩いていると、みんな、どこかで見た顔だと思って、振り返ったけれど、今どこを歩いたって振り返る人なんていない。そういう意味ではもう私は賞味期限が切れた人間だと話したんですが、あの福島のこういう事件が起きてから、またマスコミの方たちも取材に来たりして、原発を住民が一生懸命考えて止めた町だとして再び注目されるようになってきました。
 注目されなくなって当たり前だし、注目されても当たり前だし、まあ、注目されようがされまいがどっちでもいいんじゃないかと。大事なことは、われわれがなんか勉強するときには、自分で考えたり、あるいは誰かから話を聞いて考えたり、色々なことを参考にしながら本も読んだり、あるいは誰かが公園のゴミを拾っているのを見たりしても勉強になるでしょ。だからその勉強するための一つが、巻でこういうことが行われたということであって、胸を張る必要はないし、首を垂れる必要もない。普通でいいと思う。どうだった、どう考えると問われれば、こうこうこうでしたと各自が思ってることを答えればいい。私はそう考えています。
 とにかく、この町で住民投票をやってよかったし、最初に話したように、原発について一人ひとりがある程度学び、自分なりの考えを熟成するようになってきたんだから、私は県民投票でも国民投票でも、これを提起してもいい状況になっていると思います。大事なのは、人任せにせず自分たちで決めて自分たちで責任を取るということです。


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「原発」国民投票

「原発」国民投票・今井一(著)

住民投票

住民投票・今井一(著)


笹口孝明さん笹口孝明 プロフィール
昭和23年 新潟県西蒲原郡巻町生まれ。明治大学経営学部卒業後、笹祝酒造株式会社入社。
平成6年10月「巻原発・住民投票を実行する会」の立ち上げと同時に代表に就任。
町長リコール署名運動を起こし請求代表人となった後、平成8年1月新潟県・巻町長に就任。
平成8年8月4日、日本初の住民投票「巻原発・住民投票」を実施した。
平成16年巻町長二期目の任期満了により退任し、現在は笹祝酒造株式会社の社長。


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