リレーメッセージ「第13回 村西俊雄(元滋賀県米原町長)前編」
東日本大震災の原発事故以降、それまではあまり大きく意識されてこなかったエネルギー問題が、実は国にとって非常に大きな問題であったことに多くの国民が気づきました。
この、「原発」という重要事項を一部の人間だけではなく国民みんなで決めようというのが私たち〈みんなで決めよう「原発」国民投票〉が主張していることです。
「みんなで決める」という意味で、自治体単位での「国民投票」にあたるのが住民投票です。
日本では現在、すでに400件以上の住民投票が行われています(住民投票条例に基づいて行われたものです。リコールなどは含みません)。
そのほとんどは先の「平成の大合併」で行われた、合併をテーマにした住民投票です。
今回と次回は、自治体合併をテーマにしたものとしては日本で2番目、永住外国人に投票権を与えたものとしては日本で初めての住民投票を執行した旧米原町の元町長・村西俊雄さんにお話をうかがいました。村西さんは〈みんなで決めよう「原発」国民投票〉の賛同人でもあります。
記事中、村西さんは「村西」、水野は「水野」、と表記しています。
「よそ者が、こんなに大きな問題をちょいちょいと決めていいはずがない」
水野:村西さんは米原町長時代、自治体にとって非常に重大な問題である合併問題について住民投票を実施されました(2002[平成14]年3月31日)。住民投票自体はそれ以前に新潟県巻町などですでに行われていましたが、自治体合併をテーマにした住民投票は埼玉県上尾市(2001[平成13]年7月29日)に次いでわずか2例目となります。
村西:そうですね。
水野:まずそのお話からお伺いしたいのですが、あの時、当初は自治体合併の問題というピンポイントの住民投票ではなく、テーマを特定しない、いわゆる「常設型」の住民投票条例として条例案を出されました。この条例案は議会で否決されることになりますが、これはやはり自治体合併というテーマでの住民投票を念頭に置いたものだったんですか?
村西:あの時は合併問題という、住民にとって大きな行政の問題が出てきましたからね。それを住民投票でというのはまず頭にあったんですが、その前に経過があるんです。私はあの町(米原町)の町長をさせてもらったんですけど、本当はあの町の出身ではないから、町の民意をどうやって吸い上げるかということが非常に大事な問題だと思っていました。
水野:あ、村西さんは米原町のご出身ではなかったんですか。米原町の町長になられる前は、町の助役だったんですよね。
村西:僕はもともと県の職員だったんです。定年の1年前に、もう辞めようと決めていました。絵が好きなので車で日本中をスケッチ旅行に行きたいなあと思っていまして。業者に頼んでいたキャンピングカーの改造も上がってきて、さあもう辞めようと思っていた時に、2月頃だったか、知事、副知事から米原町に行ってほしいんだと言われたんです。私は米原町の生まれではありませんし、何にも知らないのに勘弁してくださいとずいぶん抵抗したんですが、しかし行ってもらわなくては困る、県の顔に泥を塗られては困ると、半分脅かされるような形で。(笑) それで米原町に行ったんです。助役を半年やって、そこから推されて町長になったんです。
水野:なるほど。合併問題を考えるにあたって、初めから頭の中には住民投票という選択肢があったとおっしゃいました。これはなぜだったんでしょう? 住民投票自体がまだ珍しい時代でしたよね。
村西:私は米原町の出身者じゃないので、住民からすれば、言ってみればよそ者です。私自身もよそ者だという自覚はありましたし。当時、まだ米原町に来て1年ほどでした。住民も地域も知らないよそ者が、こんなに大きな問題を、将来の住民やその子孫の暮らしにも影響を与える大きな問題を、議会と町だけでちょいちょいと決めていいはずがない。そこで住民の意思を確かめる方法として、絶対に住民投票だと思いました。当時、日本のあちこちで大きな問題について住民投票の請求運動が起き始めていた時代だったでしょう。原発問題もさることながら産廃問題や可動堰の問題、空港の問題などあちこちで出てきた時です。多くは否決され実現しませんでしたが。その動きを見ていましたから、そういう方法(住民投票)があるじゃないかというのは頭にあったんです。
水野:条例を作れば住民投票がやれると。
村西:そうです。それでね、やはりよそ者ですから、町のことを勉強するわけです。そこで米原町の歴史を調べていたところ、凄い歴史があったんです。米原駅から彦根寄りの場所に、鳥居本(とりいもと)という地域があります。ここは今は彦根市ですが、もともとは米原町と同じ坂田郡だったんです。場所の単位でいえば「鳥居本学区」ですね。そこがこちらを離脱して彦根市と合併するかしないかで大問題になったそうです。その時に、鳥居本の人たちだけで合併の是非を問う住民投票をやってるんですよ。それで昭和27年(1952)に鳥居本は坂田郡を抜けて彦根市と合併した。そういう歴史が、町史を読むと出てきました。また、昭和40年頃の高度経済成長期の合併ブームの時に一度、米原町は彦根市と合併することを議会が決めたことがあるんです。
水野:え?
村西:決定したんです議会で。合併すると。そしたら住民から大きな異論が出てきて、区長会が緊急区長会を開いて町長と議長に対して辞任要求を出しました。こんな大事なことを住民の意見も聞かずに決めたとはけしからんということで。区長会というのはつまり、地域の意見ですよね。直ちに町長は辞職、議会は解散せよという、その証書を町長室で発見したんですよ。(笑) 町長室にはいろいろ重要書類が置かれてますから、その中から。こんなものがあるじゃないかと驚きました。一度決定しておきながら住民不在の決定をしたと住民から猛反対されて。で、結局、議会はやっぱりやめましたと。(笑)
水野:合併はやめさせてもらいますとなったんですか。
村西:そう。(笑) こんな歴史があって、合併問題というのはいかに住民の声を聞いてやらなくてはいけないかということはこれを見ただけでもわかるし、町と議会とだけで決めるものではないということは、その時に私も自覚しました。だからこの合併の話が出た時は、やっぱり住民の意見を十分に聞いて、慎重にやらないといけない。そして議論を盛り上げていくと。ということで、これは住民投票にふさわしいなという考えが頭にはあったんです。当時、合併について、各地域でいろいろなフォーラムをやっていました。そのある回に、まさにうまくというか、住民の方から「町長、こういう問題は住民投票をやったらどうやな」という意見が出てきたんです。
水野:ほう。
村西:そこで私はそれにパッと乗れたんです。「そうですよね!」という感じで。頭の中にあったものをこちらから言い出すのではなく住民から言い出してくれた。それはもう、助け船みたいなものでしたよ。(笑) 私にしてもこれは「待ってました」という感じではあったんですが、住民投票で決めるという話が住民から出てきたことに、私は非常に感動しました。だからぜひ住民投票でやりたいなと。ぜひこれでやろうと思いました。
水野:なるほど。じゃあその声が住民から出てきた瞬間に、1つの完成ですよね。その瞬間に道筋がすっと見えた。
村西:そういうことですね。それでそれから後のフォーラムでは、「住民からこういう(住民投票でという)声が出ています。私はこれも1つの方法かなと思っています」と言ってみました。するとそうしたらいいという声がまただんだん出てきた。これはいける!という感じでした。(笑) これしかないと。
水野:議会の方はどうですか?
村西:議会の方も徐々にそういう雰囲気になってきましたね。
水野:それで最初の「常設型」住民投票条例案の提案になるわけですね。
村西:そう。それで私はやっぱり、合併問題自体は確かにこの町の喫緊の問題としてあるけれども、それならこれから民主主義を深めていき、みんなでまちづくりをしていくのにはむしろ常設型で、大事な問題については今後も住民投票ができるような形にしておいて、その第1号を合併問題でやればいいと思いました。当時はすでに愛知県高浜市が常設型住民投票条例を作られていました(2001[平成13]年4月施行)ので、議員と一緒に高浜市に勉強会に行きました。そして市長の熱っぽい話を聞いてまた「これや!」と奮い立って、それで議会に提案したのが2001[平成13]年の12月議会です。ただこれは結局否決されました。しかしただ否決されたのではなく、そこで大事な議論が残ったんです。1つは、こういう制度は時期尚早だと。喫緊の大きな問題として合併問題があるんだからテーマを絞ってそのつど条例を作ってやるという方法があるじゃないかと、議会が言い出したんです。
水野:「常設型」はダメだけど、合併という単発テーマならやりましょうと。
村西:そう。「常設型」については「まだそこまでは」という感じで否決されたんだけども、それでもその時の議論はまったく無駄ではなかった。その次に出した、合併にテーマを絞った住民投票条例案の議論にそのまま活かせる議論でした。その時は今井さん(ジャーナリスト)にも事前に勉強会に来てもらいましたね。そしてもう1つの大事な議論が、外国人投票権です。
水野:この住民投票の大きな特徴ですよね。米原町の住民投票は、永住外国人に投票権を与えた日本で初めての住民投票でした。
村西:これも社会的に大きな関心を呼びました。
水野:これはどういった経緯で。
村西:これもあちこちで、時代の流れとして動き出していたんです。これからのまちづくり、しかも日本にはどんどん外国人が入ってきている、そういう社会になってきた。私は県の職員時代、まさにそういう問題を扱っていたんです(注:96~98年、県人事委員会事務局長時代)。当時、公務員の要件として国籍条項が大きな問題になったんです。当時は地方公務員法上いろいろ制約があって、外国人は公務員になれなかったんですよ。それが、こういうグローバル社会になって技術革新の時代になってそんなことを言ってたら日本は遅れてしまうから、技術的な部分や語学などに関しては外国人でもいいじゃないかというふうに徐々になってきたけど、一般公務員、要するに権限を持っている、許認可をやる、住民の行動を制約する権利を持っている職には就かせないというのがあった。しかしこれも徐々に変わってきてたんですよ。これからはやっぱり外国人の制限をなくす、外国人でも地方公務員になれる……今は滋賀県はほとんど国籍条項を外しましたから誰でもなれるんですけども。そういうことも頭にありました。これから地域社会を形作るのは日本人だけじゃないだろうと。
水野:なるほど。
村西:それでね、投票権の年齢については僕は公選法が頭にあったけど、もうちょっと若くしてもいいじゃないかという議論もあったし、投票権者に外国人を入れることについては、これはもう今の時代いいじゃないかということになりました。最終的には公選法の選挙人名簿はそのまま使いたいし、外国人の名簿は新しく作らないといけないけれど数が少ないのでそれほど手間はかからないということで、年齢は公選法と同じ20歳にして、それに外国人は入れようということにして、常設型住民投票条例として提案したんです。
議会での議論の中でも、あの町は人権問題への理解が高い土地だったので、外国人差別はおかしいという観点から永住外国人の投票権については問題ないというのが大方の議員の意見だったんです。
水野:ほう、議会の中では外国人投票権問題についてはあまり異論がなかった?
村西:そうそう。これについてはあまり異論がなかった。「常設型」の条例に猛反対していた人でも、外国人投票権問題については「人権上、わしは賛成や」という意見を言う人もいましたし、これはいけるなと思ったんです。それで、「常設型」条例案の方は時期尚早ということで正式に否決されはしたんですが、そこから出直す方法としては、年が明けたら自治体合併のみをテーマにした住民投票条例案を出そうと。これならいけると読んだので、当時私の部下だった平尾君(平尾道雄氏/現米原市長)に合併問題の担当を命じてやらせたんです。彼はものすごくノリのいい男で、「それ、やりましょう!」と言ってくれて、条例案までみんなやってくれました。新しいものをどんどん改革的に取り入れる人物でもあったし、後に山東町・伊吹町・米原町合併協議会の事務局長をやることになります。私は年末年始の休みを返上して毎日議員のところに働きかけたりしてました。年が明けて常設型の条例案を一部修正して単独テーマに変えて、外国人投票権についてはそのままにして。これを平成14(2002)年1月に臨時会を開いて提案しました。
するとこれは、むしろマスコミはそっちの方へ……日本で初めて外国人の投票権を認めるという、1つの参政権ですよね。これが大きなニュースになりました。しかしそんな条例案、通るはずがないとマスコミはみんな思ってた。(笑)
水野:ああ、マスコミは議会の状況とか知らないし。
村西:そうそう。それが委員会で可決されて。そうするとにわかに全国からテレビ局もいっぱい来ました。それで本会議で見事に通ったんですよ。合併をテーマにした住民投票は上尾市(埼玉県)に続いて全国で2件目だったんです。上尾市は住民からの直接請求で住民投票条例が設置されたんですが、米原町は首長提案。上尾市は確か市長は住民投票に大反対だったんです。合併を推進したくて、住民投票条例に反対の意見書をつけて議会に提案したんですが、可決されて。だから住民投票を「やらされた」んです、どちらかというと。それが合併問題での住民投票の第1号。(笑)
なので米原町の住民投票は、合併問題では2番目。外国人投票権については1番目ということで、外国人投票権の方がマスコミでは一大センセーションになりました。新聞の一面に載ったくらい。町の人は何も言わないんですが、町外から「売国奴」などと100通くらいのメールが来ました。脅迫もありましたので警察にも通報して警戒してもらいました。東京の右翼から電話がかかってきて、「お前の町グチャグチャにしてやるからな」とかね。だから職員たちは少し心配してたし、「石の1つくらいは役場に飛んでくるかもわからんぞ」と言ってたんですが(笑)、実際はそういうことは一切なく。
水野:なかった?
村西:ありませんでした。結局。脅迫は相当ありましたが。「ワシら忙しいからお前とこみたいな田舎町に行ってるヒマないんじゃ!」と。(笑) これも全部公表したんです。こんな意見が来たと。そしたら新聞がそれを書いてくれたりしました。(笑)
そんなこともありましたが、その後、今まで合併問題については住民投票が400件近く行われていて、もう普通のツールになりましたよね。住民の意思を問う手段として。外国人投票権もだいたい7割近くは入れるようになりましたし。
水野:65.3%ですね([国民投票/住民投票]情報室調べ)。
村西:外国人嫌いの首長や議員がいるところでは、逆に住民から、あるいは議会から入れるべきだとか意見が出て、修正させられた町もあります。外国人投票権を入れるように。そんな時代になってきました。
村西俊雄プロフィール
1941[昭和16]年生まれ。
商社勤務、国家公務員を経て滋賀県職員に。約37年の勤務で土木部次長、人事委員会事務局長、県立大学事務局長を歴任し旧米原町へ。6ヶ月を助役勤めた後、同町の町長となる。
米原町長時代、周辺自治体との合併をテーマとしたものとしては全国で2番目となる住民投票を実施。日本で初めて外国人に投票権を与えた住民投票となる。
現在、愛荘町長。
ブログ:YAHOOブログ 町長「むらニャン」のあんにゃ・もんにゃ
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2013年4月11日 | コメント/トラックバック(0) |