リレーメッセージ「第18回 山田 真(小児科医)」

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山田 真(やまだ・まこと)
1941年岐阜県生まれ。小児科医。東京大学医学部卒業。1970年より八王子中央診療所(東京都八王子市)勤務、現在同診療所理事長。『はじめてであう小児科の本』、新刊『小児科医が診た放射能と子どもたち』など、著書多数。雑誌『ちいさい・おおきい・よわい・つよい』編集代表。東日本大震災以降、福島市内で健康相談会や勉強会を開催している。「原発」国民投票賛同人。「原発」都民投票の直接請求では、請求代表者をつとめた。

選挙も直接投票も、前哨戦が大事

 「原発」都民投票の直接請求のときに、生活クラブとのつながりで依頼され、請求代表者になりました。文化人や著名人だけでなく、マイノリティといわれる人が応援団として加わってくれることが大事だと考えていて、そういう人達とつながりのあるぼくが代表者の一人として名前を連ねることは、プラスではないかと思ったのです。
 でも、投票が実現したらかなりしんどいな、という感じだった。原発推進の票が圧倒的に多かったりすると、反対派には壊滅的な打撃だと思うんですね。そう思いながらも請求代表者を引き受けたのは、投票をすること自体は正しいと思うから、なのですが……。
 つまり、世論調査で原発反対が多くても、投票ということになると保守層が精力的に動いて、ひっくり返ってしまわないかと思うのです。長年、地元候補者の選挙応援に関わって、自治会にまで浸透している保守層の地盤の強さを実感してきたからね。診療所でも、ある宗教関係の政党の党員である患者さんは、選挙前に診察に来れば「先生、○○さんに投票して下さい」と言う。びっくりするけれど、本来はそれくらいの熱意や働きが正しいんだろうな、と思う。住民投票や国民投票も、投票が実現する前にいかにそういった地盤を築けるか。実際に「原発」住民投票をやった巻町(旧新潟県西蒲原郡巻町・現新潟市)のような事例を分析すれば、どうしたらいいかが見えてくるのかもしれないね。とてもシビアな状況でやったのだから。
 都民投票の署名活動を街頭に立ってしてみて、すごく意外だったことがある。若いお母さんたちは子どもの生命(いのち・ルビ)を第一に考えるのがふつうだから、投票を支持してくれるだろうと思っていた。だけど、実際に署名をしてくれる女性の多くは高齢者で、子連れの若いお母さんは見向きもしないという感じだった。むしろ高校生くらいで街頭演説を聞いてくれる子たちがけっこういたから、あの世代をつかまなくてはいけないと思った。やっぱり、原発安全教育で洗脳される前の子どもたちに原発のことを考えてもらわなくちゃいけない。
 でも、原発について子どもたちに伝える機会がない。学校の先生たちの多くは、放射能や原発を教える力がない。知識がないし、忙しいから勉強もしない。文科省が原発推進の副読本を出してくるのに、反対派にはそれに対抗するものを用意する力がない。だから、教育現場では副読本を「使わない」というのが、消極的だけど最大の抵抗になっています。昔は「自主編成」といって、国が作っている教科書に対抗して教員が自主教材を作り、授業をしたものですが、今はそういうことをする教員もほとんどいなくなってしまいました。

認めたくないことは見ない、という悪知恵

 ヨーロッパには、パルチザンの伝統を持つ国が多く、国に抵抗する市民組織が強い。日本は、何かあるたびに神風が吹いて(笑)、運よく最悪の事態に至らずすり抜けてきた。自分たちを守るために市民が力を尽くして争うという伝統がない。僕は敗戦のとき子どもだったけれど、おふくろに「山へ逃げないと殺される」と言われて、日本全土が沖縄のように蹂躙されると思っていた。負けるというのはそういうことだと覚悟していたが、「鬼畜米英」が一夜にして「チョコレートをくれる優しいおじさん」になっちゃった。だから、今も日本人は最悪の事態を考えない。
 僕は今、東北で地震が起きると「(福島第一原発のある)浜通りじゃないか」と確認せずにはいられないけれど、そういう人がどれだけいるだろう。2011年の3月14、15日頃が、本当に日本が壊滅するかもしれない大ピンチだったという認識が、多くの人にはないんだろうね。巧妙に隠されてしまったから。
 例えば伊方原発は南海トラフの真上にあって、大地震が起きて事故になれば瀬戸内海が全滅する。それが日本にとってはかりしれない災厄になるだろうと考えると、原発事故は絶対に起こしてはいけないんだ。だけど、「そうそう悪いことは二度も三度も起こらないよ」とか、「起こっても何とかなるもんだ」となってしまう。結局、沖縄に米軍基地を押し付け、今、福島に原発事故の被害を押し付けているように、ひどいことをされた人たちのことは見ないようにして生きていくのが生き残る道だと、日本人の多くが学んでしまったのではないだろうか。
 私たちは大学闘争の中心的な世代だけれど、フランスで学生闘争から近代の問い直しが行われたような文化的な成果が、日本にはなかった。科学についても、それが本当に役に立つものなのか、危険なものなのかといった問い直しをしなかった。福島第一原発の事故当時、一番信頼していた小児科医の後輩を「一緒に福島で健康相談会をやらないか」と誘ったら、「そんなことより禁煙運動をやった方がいい」と言われ、すごくショックを受けた。もう、どこから話をしたらいいかわからない、という感じでした。彼らは学生運動の経験からなにを学んだのでしょう。

ぼくにできるのは、福島で聞いたことを伝えること

 いろんな地方に行き、福島から避難している人とたくさん会ってきたけど、いつも最初に訊ねられるのは「故郷はもう帰れる状態になっただろうか」ということ。大半の人が帰りたいと思っていると感じます。先祖代々の土地に根付いて生きてきた人は簡単に引っ越せないし、特に田舎だと子は親から離れられないから、お年寄りが福島に残ると言えば家族も一緒に残る、というケースが多い。
 福島では、言いたいことがいっぱいあっても、まわりの人には言えない、という状態になっている。ぼくが福島市内で開いている健康相談会に来て、不安や愚痴を吐き出したら、その場ではすっきりするようですが、それで終わりになってしまったらすごくまずい。そういうエネルギーを、何かかたちにすることに向けなければいけないのに、と思うのです。しかし彼らに「国や県に要求することはないですか」と訊ねても「何もありません」という。本当は要求したいことが山ほどあるんだけど、それを言ってもどうせ実現できないだろう、と諦めているんでしょうね。
 福島から遠くへ自主避難している人達にいろいろ話を聞いていると、福島に居残っているお父さんが、すごくたいへんだということがわかってきた。家族の意見が一致せず母子だけが避難すると、「親父の甲斐性がないから妻子が逃げた」と言われてしまう。「避難行為は風評被害を大きくしているだけだ」などとまわりから責められる。だから遠慮しながら生きていかなくてはならない。お父さんは妻子が心配で会いに行きたいが、交通費の捻出もままならず、年に1度しか会えなかったり、妻がもう帰らないと覚悟を決めると、離婚になってしまったり。「このお父さん、放っておいたら自殺してしまうのではないか」というくらいの追いつめられ方をしています。ぼくにできるのは、福島で聞いたことを、他の地域の人達に伝えることだと思っています。

子どものため、未来のための活動を続けよう

 原発に反対する市民運動は、福島の事故の前から、細々とでも続けている人たちがいたから、今なんとかなっているという部分があります。だから地道に、とにかく続けていくということが絶対に必要なんだよね。被爆の問題にしても、日本には低線量被爆の専門家がいなかったのですが、広島の原爆訴訟に関わった研究者など、これまでもある程度研究をしている人たちはいて、その人たちの研究内容が、今とても役に立っているのです。
 これから子どもたちが生きていく上で、放射能の被害がどういう風に出てくるかわからない。だから、起こる前に、それに対応するための準備をしておかないといけない。子どもを放射能から守る活動をしているお母さんたちをはじめ、さまざまな活動をしているみなさん、しんどいけど、がんばっていきましょう。

 

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