リレーメッセージ「第11回 笹口孝明(元新潟県巻町 町長)後編」

笹口孝明さん後編トップ

日本で最初に住民投票を行なった新潟県巻町、しかもテーマは「原発」。インタビュー前編では、巻町で住民投票を行うに至った経緯と、住民投票に対する笹口さんの考えについて伺いました。
インタビュー後編では、「原発」住民投票後の巻町や人々の様子について聞きます。


記事中、笹口さんは「笹口」、遠藤さんは「遠藤」、大芝さんは「大芝」、今井一は「今井」、と表記しています。


遠藤:私はずっと巻で育ったんですが、実は原発がどうとか、住民投票がどうとかこれまで一度も考えたことがなかったんです。でも、最近、小さい頃一緒に遊んでた印刷屋さんのIさんの家の人たちが原発推進だったという話を親から聞いてびっくりして。なんか、ちょっとリアルに当時の状況がイメージできました。
 大学に入って勉強し、大人になって初めて、あの住民投票の意義がちゃんと理解できるようになり、今になってわかるんですけど、あの時に懸命に動いてくれた、たくさんのみなさんがいたからこそ、今の巻町があるんだなあと思って。そういう選択をしてくれたことがすごく嬉しくて。だから私はこの巻町が自分の故郷っていうことを、すごく誇りに思っています。


笹口:さっき遠藤さんが名前を出したIさんのエピソードを2つ話しますね。一つはね、私、ライオンズクラブに入っていたんですよ。Iさんも今商工会の方をやっているんですけど。

遠藤:ああ、Iさんのおじいちゃんですね。

笹口:そう、その人が、後に原子力懇談会の会長さんになった人だったわけだけれども、そのときIさんも私もライオンズクラブに入ってました。ライオンズクラブというのは政治活動をしちゃいけない組織なんです。それで、私は「巻原発・住民投票を実行する会」の住民運動は政治活動じゃないと思ったけども、やがて候補者を立てて議員さんを議会に送り込むような状況になり、見方を変えれば、私も政治の世界に首を突っ込んだことになると思いました。
 ライオンズクラブのなかに政治に関わる人間がいる、それも選挙運動の責任者になった人がいるのはよくないと思い「辞める」と言ったんですよ。そしたら、「辞めるな」って止めたのがIさんだったんです。
 なんでかっていうと過去にも議員さんやってた人、選挙に出たことがある人がいたりして、笹口さんがやめると筋が通らなくなるから辞めないでくれと。まあ、結局辞めるのに二度失敗して、三度目にはいきなり辞表を出して辞めましたけどね。
 「実行する会」の代表と「原子力懇談会」の幹部との間でそういうやりとりがありました。だから別に、その、いがみあってつかみあいの喧嘩をしていたわけじゃない状況だったんです。そして今、Iさんは商工会の会長さんをやっています。その商工会長さんが、ある時ね、まだ福島の原発事故が起こる前だけど、「笹口さん最近また、あのとき原発つくっとけばよかったよねっていう声がだんだんまた高くなってきているよね」って私に言うんですよ。


一同:

笹口:「そうですか、私の周りにはつくらなくてよかったという人の声のほうが多いんですけれど」と私は言うんですけど。だからね、彼はカマをかけて私に言ってるわけじゃなくて、心底そう思ってて、そう言うんですよね。景気が悪いでしょ。だから商売も先細りしたり。原発建設があれば受注したりできたのが、また期待されると。あの頃とはまた違った形で原発についての期待感が増してきているんだと、彼は言うんです。ところが私には「原発」やめてよかったねって声がいっぱい届いているんで。そのギャップが面白いなと思うんですよ。

今井:悪気はないんだけど、本気で思ってるんですよね。

巻町住民投票の様子

巻町住民投票の様子

笹口:そう。本気で思うから私に言うんですよね。結局、なんていうかこう立場が変わると、入ってくる情報がそっちの経路の情報しか入ってこなくて、まわりの意見もそういう意見。私もある意味では狭いのかもしれないね、そっちのIさんに入ってくる情報が入ってこないで、原発やめてよかったよかったという情報だけが私にまわってくるからね。私に入ってくる情報も一方的。ほんとうの世間に入ってくる情報はなんなのかね。まあちょっとわからないけれども。だからIさんでも私でもない、普通に生活している人が一番正しい情報が入ってきてるんじゃないかな(笑)。「みんながこう言っている」とかよく言うけれど、「みんな」って誰だ?って子どもによく言いますよね。情報源はどこからなんだと。あなたに情報を入れなかった人は「みんな」のうちに入らないのかと。
 当時、明らかな原発推進の人っていうのは住民投票っていうのは嫌なんですよ。もう体制としてできあがりつつある中で「みんなで決めよう」となると困るから。だから私たちは原発反対運動をしていたわけじゃないんだけれども、みんなで決めようと言ったから、あんまり快く思われてなかったかもしれない。けれど、最近そういった人たちに会うと、少し態度が変わってたりするんですよね。例えば、蕎麦を打っている人なんだけど、この前、町の新蕎麦祭りでその人たちの蕎麦を食べに行ったんですよ。実は次に巻観光協会が主催する「郷土の料理とお酒を楽しむ会」に行くと、またその人と会うわけですよ。そしたら向こうから積極的にね、「笹口さんまたあの郷土の酒のときによろしくね」と言われる。そういう「こだわり」を抜きにして、そこで一番大事なのはその人とは一度も喧嘩したわけじゃないでしょ。人間として付き合ってて、ただ考え方や主張が違うだけで、だから考え方や主張が違う人と喧嘩しちゃいけない。そうやって時間が経ってくると、また仲良しになれて。普通の、逆に親しい関係になるかもしれないし。


今井:そうなんですよね。考え方が違うこと、主張が異なることを楽しまないとね。日本人は、特に日本人の市民運動家はこれが苦手かもしれない。

笹口:だから、遠藤さんが小さかったときに一緒に遊んでたというのもね。

遠藤:毎日遊んでましたね。

笹口:そう、本人に関係ない話だし、たとえ本人に関係あったとしても、仲良くしてたのを思い出してつきあいを継続したほうがいいと思うんだよね。「原発」に賛成か反対かということに囚われる必要はないです。

今井:遠藤さん、ありがたいお言葉ですね(笑)。大芝くん、何か伺いたいことがあれば。

大芝:住民投票をする前とした後で一番何が変わったかというのをお聞きしたいなと思って。例えば、その後の選挙だったり政治意識の高さだったり。民度が上がるっていうのを住民投票やったところでは聞くんですけど、実際にその政治意識とか、そういうことって何か感じられることがあったら…。

笹口:あのねぇ、巻の住民投票が終わったあとに、マスコミのみなさんだとか学者のみなさんが来たりだとかしましたからねぇ。卒論書く人もけっこう来たり。だからそういう意味で、巻町は民主主義の学校だと。ありとあらゆることをやったわけですよね、選挙、リコール、直接請求、そして人権擁護委員会、裁判だとか、主権者としてやれることはみんなやりました。

今井:時間とお金と労力を費やして。

笹口:そう。ほんとに色々なことをやって、「民主主義の学校」だとか言われたけれど、巻町民が一番望んでいたのは「普通の町」になりたかったっていうこと。これが一番の話で、言いたいことが言えない、原発の話は差し障りがあるからできない、でもひょっとしたら自分の考えとは違う方向に、それも意思表明する機会もないまま、ぐーっとなんかいっちゃって、一生自分の思いを閉ざしたままでいなければならない町になっていたかもしれない。だからそういうのが普通に、私はこういう考えですって言えて、あんた違うのね、ってお互いに言い合えて、でも結局私の考えもあるし、あんたの考えもあるし、また別の人の考えもあるしって、それらをまとめて整理した上で、町の方向なり行政が動いてくれればいいねって。それが普通の町ですよね。それをみんなが望んでいたんです。
 ただ原発のことに関しての意識はどこの町のどこの住民よりも、場合によったら資源エネルギー庁の人たちよりも高かったかもしれない。資源エネルギー庁のS室長さんっていう人が巻に来てね、巻町(まきまち)と言わずに巻町(まきちょう)の人はね、まきちょうの人はね…なんて言ったりしてたけど。
 その資源エネルギー庁の人が巻にきて、原発のについて町民に講演をしたことがありました。それをテレビで見ました。推進派の人しか会場に行ってないんだけど、その推進派の人たちから非常にクレームが出ていました。


今井:どんなクレームですか。

笹口:「そんな易しい初歩的なことばかり言うなら、この町に来るな」というクレーム。そんなふうに推進派の人たちが言ってるんですよ。巻町民というのはあまり知識がないから、この程度の話をして教育しようと思ったんでしょうけれども、そんなどころじゃない、Sさんが知ってるような何倍もの知識や情報を町民は持っていたわけです。

今井:それは、ずっと昔からそうだったわけじゃなく、住民投票で決めるとなったからですよね。

笹口:そうです。自分たちで町の将来を決める。だから、すごく勉強したんです。ただし、勉強したけれども、なりたかったのは「普通の町」。「普通の町」になりたかったの。当時は進んだ町として、なんかいろんな提案をしたり、動きも少しはあったけれども、そういうのも消えていって、結局普通の町に戻ったと。何事もないような町に最後は戻った。
 ただ、あの、なんていうんでしょうかね。普通の町に戻ったんだけれども、自分たちで自分たちの将来を決めたという自負というか自信というか、この事に対しては自分たちが一生懸命に勉強して自分たちが決めたんだという満足感や誇りを持ったんじゃないかなあと。
 で、私たちの「実行する会」の仲間で田畑護人さんっていう人がいるですが、彼がね、「よく原発誘致して活性化をっていうけど、町の活性化ってなんだ?」って。「住民投票こそが町の活性化」だって、彼はそういうわけ。活性化っていうとね、なんかいっぱい箱モノをつくったりして、いろんな事業がきたりして、経済的に良くなれば活性化なのか。それともイベントやスポーツや祭なんかやったりして盛り上がって楽しければそれが活性化なのか。
 私が浜岡原発に見学に行った時に、浜岡原発が3号機だったのか、それとも4号機だったのかちょっと忘れたけれども、何号機をつくって町を活性化しようっていう垂れ幕がかかっていましてね。私はそれを見て、ええって思いました。巻はね、推進派の人たちが1号機をつくって活性化しようとしたのに、ここは3機までつくってまだ活性化してないのかよと、びっくりした記憶があります(笑)。


今井:福井は14機もつくっても活性化していないという(笑)。

笹口:活性化ってなんなのかっていう、私は未だに結論はわからないけれども、あの酒屋の田畑さんは住民投票こそが活性化だと。自分たちで自分たちのことを決めた、そのために一生懸命に考えた。場合によっては家族と口論になったりしながらも、自分たちのことを決めていったという。それを活性化じゃないかというふうにあの人は言うんだけど、どうなんですかねぇ。

今井:私もそう思います。さすがは田畑さんですね。

新潟日報1996年8月5日一面記事

新潟日報1996年8月5日一面記事

遠藤:あの、私もずっと巻に住んでいて、巻って本当に普通の町だと思っていたんです。巻町の住民投票のこと調べようと思ってから、今井さんの本を読んだり、当時の新聞を読んだりしたんですけれど、1996年8月5日、住民投票の次の日の新聞を見たら『新潟日報』だけじゃなく、『朝日』も『毎日』も全国紙が、巻のことを一面トップで大きく載せていて、それを見て感動したんですよ。まさか自分の育った巻町がこんな…

今井:扱いを受けていると。

遠藤:そう。びっくりして、本当に震えて。で、福島の事故が起こって、原発の問題とか住民投票とか国民投票に関心が高まっている中、巻町がまたスポットライトを浴びてもいいんじゃないかなと私は思っているんですが、笹口さんはそれについてどう思われますか。

笹口:あの、昨日映画(『渡されたバトン〜さよなら原発』(池田博穂監督))撮影の人たちの会で、乾杯の音頭の前にちょっと挨拶してくれって言われたから行ったんだけどね、私が町長やめて県内のどこかの街を歩いていると、みんな、どこかで見た顔だと思って、振り返ったけれど、今どこを歩いたって振り返る人なんていない。そういう意味ではもう私は賞味期限が切れた人間だと話したんですが、あの福島のこういう事件が起きてから、またマスコミの方たちも取材に来たりして、原発を住民が一生懸命考えて止めた町だとして再び注目されるようになってきました。
 注目されなくなって当たり前だし、注目されても当たり前だし、まあ、注目されようがされまいがどっちでもいいんじゃないかと。大事なことは、われわれがなんか勉強するときには、自分で考えたり、あるいは誰かから話を聞いて考えたり、色々なことを参考にしながら本も読んだり、あるいは誰かが公園のゴミを拾っているのを見たりしても勉強になるでしょ。だからその勉強するための一つが、巻でこういうことが行われたということであって、胸を張る必要はないし、首を垂れる必要もない。普通でいいと思う。どうだった、どう考えると問われれば、こうこうこうでしたと各自が思ってることを答えればいい。私はそう考えています。
 とにかく、この町で住民投票をやってよかったし、最初に話したように、原発について一人ひとりがある程度学び、自分なりの考えを熟成するようになってきたんだから、私は県民投票でも国民投票でも、これを提起してもいい状況になっていると思います。大事なのは、人任せにせず自分たちで決めて自分たちで責任を取るということです。


新潟県巻町で行われた住民投票や国内外の各地で行われている住民投票・国民投票について知識を深めたい方は以下の書籍を是非ともご一読下さい。表紙の画像を左クリックするとAmazonのページに飛びます。
「原発」国民投票

「原発」国民投票・今井一(著)

住民投票

住民投票・今井一(著)


笹口孝明さん笹口孝明 プロフィール
昭和23年 新潟県西蒲原郡巻町生まれ。明治大学経営学部卒業後、笹祝酒造株式会社入社。
平成6年10月「巻原発・住民投票を実行する会」の立ち上げと同時に代表に就任。
町長リコール署名運動を起こし請求代表人となった後、平成8年1月新潟県・巻町長に就任。
平成8年8月4日、日本初の住民投票「巻原発・住民投票」を実施した。
平成16年巻町長二期目の任期満了により退任し、現在は笹祝酒造株式会社の社長。


バックナンバー

リレーメッセージ「第10回 笹口孝明(元新潟県巻町 町長)前編」


笹口孝明 プロフィール
1948年 新潟県西蒲原郡巻町生まれ。明治大学経営学部卒業後、笹祝酒造株式会社入社。
1994年10月「巻原発・住民投票を実行する会」の立ち上げと同時に代表に就任。
町長リコール署名運動を起こし請求代表人となった後、1996年1月新潟県・巻町長に就任。
1996年8月4日、日本初の住民投票「巻原発・住民投票」を実施した。
2004年巻町長二期目の任期満了により退任し、現在は笹祝酒造株式会社の社長。


記事中、笹口さんは「笹口」、遠藤さんは「遠藤」、大芝さんは「大芝」、今井一は「今井」、と表記しています。


今井:笹口さん、きょうは東京から2人の若者を引き連れてお邪魔しました。2人とも、うちの会の仲間なんですが、大芝くんはジャーナリスト志望で、10月に実施されたリトアニアでの「原発」国民投票の現場にも足を運んでいます。遠藤さんは、慶應義塾大学で地方自治を学んでいるのですが、彼女は巻町の出身です。2人とも笹口さんに会いたい、話を聞きたいというので、その願いを叶えたということです。どうか御了解ください。
 さて、私たちは「原発」を国民投票や住民投票にかけるための活動を進めているんですが、残念なことに、原発反対派の一定数の人がそれに強く反対しているんですよ。
 例えば、30年以上反原発活動をやっている東京都議が、「原発」都民投票条例制定に反対にまわったりもしています。かつての巻町ではあり得ない話です。


笹口:何で反対してるのですか?

今井:その理屈は、絶対に勝てるんならいいけれど、負ける可能性があるから、やらないほうがいいというもの。私たちの会の賛同人で、「原発」都民投票の請求代表人を務めていた俳優の山本太郎さんまでもが、今は負ける可能性が高いと思うから反対と言って、賛同人を降りちゃったんですね。彼は、最初は、勝ち負けじゃない、勝ち負けと関係なく市民自治のためにやるべきだって言っていたのに…。今回の知事選で宇都宮健児さんがなぜ「都民投票条例の知事提案」を約束できなかったかというと、それはそういう人たちに気兼ねしたからです。きっと。

笹口:なるほど。

今井:で、私はまずそのことを笹口さんに伺いたいのですが、1996年8月4日に、日本で最初に住民投票を執行された、しかもテーマは「原発」。そして告示の日に出された「巻町民へのメッセージ」は非常にフェアだったと思うんですよね。条例に記されている「町長は住民投票の結果を尊重する」とはどういうことなのか、と。賛成多数なら建設の方向に向かい、反対多数であれば原発建設は認めず町有地を売却しないと、メッセージに明記された。どっちになっても、私はそれを尊重する。反対多数だったら呑むけれども、賛成多数だったら無視するなんて書いてないですよね。そのことをなかなかわかってもらえないんですよ。負ける可能性があったら、国民投票や住民投票を仕掛けたらダメとか求めたらダメという人がけっこういるんです。それについて、笹口さんどうお考えですか。

巻町民へのメッセージ

巻町民へのメッセージ
(クリックすると拡大します。必読!)


笹口:原発ができるかできないかというのがきわめて大事だからこそ、原発がテーマになって、住民投票するかしないか、主権者である国民がそれをジャッジするしないということがテーマになっているわけだけれども、その大事の前に、まず民主主義っていうのはなんなのか、主権在民とはなんなのかっていうのが一番大事。別な意味ですごく大事ですね。
 原発のことについては、国民一人ひとりが原発が必要だと思ったり、あるいは原発は危険だからいらない、ただちにやめるべきだとか何年後にやめるべきだとか、色々なそういう国民一人ひとりの選択があると思うけれども、まずその国民が原発のことをよく勉強して、理解していること。そして、自分のこととして問題意識を持っているかいないか。それがまず根底にあって、そして一人ひとりが熟慮をできる環境にあること。みんなが熟慮するためには、情報が提供され、それをみんながつかんでなけりゃいけない。
 だから、仮に今から3年くらい前に原発問題を国民投票にかけましょうといっても、3年前だったら私は無理だったと思う。というのは、国民が原発問題を本当に真剣に自分のこととして考える姿勢があったかどうかということが問題だし、情報がよく提示されていたかどうかということも問題です。そして考える時間があったかないか。そのどれをとってみても今から3年前だったらいわゆる国民投票のテーマとして提起はできるけれども、ただちに投票というのは難しい。いろんなことを…


今井:条件が整っていないと。

笹口:熟慮することが必要だし、賛成論・反対論が意見を交わしてそれをまた国民が見たり聞いたりということが必要だったと思うけれども、今、福島のこのすごい事故が起こったことを受け、原発のこと、放射能のことをみなさん自分のこととして十分考えている。国民一人ひとりが。全部じゃないにしても、かなりの情報が流れているし、その情報をみて、勉強している。しかも一年半もあの事件から経っていて、原発の再稼働を進めようとしているとか、またさらにいろいろなことが起きている。それを見ながら、事故が起こったときには「原発」反対とばかり言っていたが、実際に経済的な問題とか、産業的な立ち遅れがどうだとか、原発なしに次のエネルギーはあるのかとか、自然エネルギーが育たないじゃないかとか、いろんな推進派の逆襲もあった。

今井:まさに逆襲ですね。

笹口:だからね、鳴りを潜めていた人も、「原発」なしで本当に大丈夫なのかと新たなディスカッションが始まりつつある。

今井:賛否両方が土俵に上がってきたと。

笹口:そうそう。そういう、賛否両論が成立するような状況にまでなってきた。こういうときこそ、原発について、国民的な立場で、一人ひとりがある程度自分なりの考えが熟成されつつある。いやもう、されているかもしれない。
 こういう状況ではね、私は県民投票でも国民投票でも、その地域にとってのテーマとしても、あるいは国民的なテーマとしても、十分提起されてもいい状況になっていると思います。


今井:なるほど。状況は3年前とは格段に違いますよね。それはもう誰もが認めざるを得ない。普通にね、魚屋のおっちゃんや、乾物屋のおばちゃんが原発について客と普通に語り合うような時代になりました。前はあり得なかったですから。この町でも、ガンガン話してたのは、桑原正史さんや高島民雄さん、佐藤勇蔵さんら数人でしたからね(笑)。でも、今は違う。
 で、さっきの話に戻るんですが、それはわかっていると。わかっているけれども、メディアはいい加減だし、日本人は情報に流されやすいから、やったら負ける。だから国民投票や住民投票をやることを許さない。という人が多いんですよ、反原発派の中にもね。
 彼らが主権者の決定権を阻んではいけない、一人ひとりの権利なんですよ。原発推進を選ぼうが、反対を選ぼうが。その選ぶ権利までを奪っちゃだめ。
 だから自分の思う通りの結果にならないかもしれないから、都民投票はやらせないとか国民投票をやらせない。あるいは「原発推進」の自民党が大勝しそうだから選挙はやらせないというのはだめでしょう。その時点でどこが有利であろうが、衆議院も自治体選挙も必ず4年以内に選挙をしなくちゃいけない。笹口さん、そのあたり、最初に住民投票を執行された元首長としてどうですか。


巻原発・住民投票を実行する会の会合風景

巻原発・住民投票を実行する会の会合風景


笹口:私がさっき言ったように、国民、都民、あるいは県民が十分もう論議もできて熟慮を重ねて、県民投票なら県民一人ひとりが意思決定できるような状況にもうほぼあると思う。現在、一人ひとりがジャッジできる状況にあるわけだから、あとはそれがどういう結果が出るかということについて、自分の思った通りの結論が出なきゃ嫌だなんていうのは、一つのエゴだと思いますね。
 国民、県民は「原発」をどうするのかを選び、決める権利があるし、まさにジャッジする立場にある。現在は間接民主制が定着していますが、生命・健康・財産等に関係するきわめて重大な決定事項に関しては、やはり主権者である国民、住民に直接考えを聞く必要があります。単一テーマについて国民、住民に問いかけたときに、主権者である国民や住民が直接結論を出したなら、何がなんでも尊重しなきゃいけない。単なるアンケートじゃないし、ムードでもなく、「どっちが好き?」ってやったわけじゃないんだから。


今井:熟慮している。

笹口:そう。熟慮して、この問題についてよくあなたたちは勉強してるから判断できるでしょ、だからやりますから。あなたたちは主権者として、私たちみたいな少数の政治家の考えじゃなくて、主権者自ら判断してもらったその結論に従いますから、どうか判断してくださいというのが国民投票であり県民投票なんだから、やる前にどの結論だったら尊重するし、どの結論だったら尊重しないなんてのはあり得ない話ですよ。

今井:ということは、笹口さんがもし8月4日に町有地を東北電力に売却してもいいという結論が出たら、当然その結果に従っていたわけですね。

笹口:はい、もちろんです。私は住民投票の執行者としてまったく中立で、公正な立場にありました。それで、もし仮に私が投票の結果を町長として執行するにあたって、示された投票結果が個人としての自分の本意じゃないとしたなら、私はやっぱり辞任すべきですよ。こういう町民が、こういう結論を出して選んだ以上、こういうふうに進むべきである。しかし私は心の中では、それと違うことを信念として実はもっていたから、私は投票結果の執行者としては適任じゃありませんと、辞任すべきですよ。町民の選んだことを信念として執行できる、町長をまた選んでもらえばいい、と思うんですよ。

今井:なるほど。そういう覚悟だったんですね。
さて、若い2人何か伺いたいことがあれば。


遠藤:私は巻町で生まれて巻町で育ちました。今は慶應大学の法学部で、市民自治について学んでいます。住民投票が行なわれた時は5歳で、これまで詳しく知らなかったんですが、大学に入ってからそれが歴史的な出来事だったことを知り、とても誇らしく思っています。と同時に、巻で起こったこと、巻町民がやったことを、もっともっと全国の人に知ってほしいという思いがあります。
 それで、さっき話題になった笹口さんの「巻町民へのメッセージ」ですが、私もあれを読んですごく感銘を受けたのですが、この最後の一行に「巻町の将来は、巻町民みんなで決めてください」っていう言葉がありますよね。そうやって町の将来の選択について、巻町民の判断を信じることができたのはどうしてですか。


笹口さん

笹口さんを挟んで、遠藤結花さんと大芝健太郎さん
(笹口さんが経営する「笹祝酒造」にて)

笹口:その住民投票の前の状況として、巻町民は27年間の長きに渡り原発について、苦しみ悩んできて、声に出せたか出せなかったかは別としても、一人ひとりが思いをもっていたから、だから責任をもって一票を投じられたわけですね。当時買収とか、なんとかツアーとかいうのがあったとしても、それはほんの一部の話であって、そんなお金で買収されるような性格の投票じゃありませんでした。自分の将来、自分の子どもたちの未来がかかってるんですから。一人ひとりが責任をもって投票するっていうのは明らかでした。

今井:目先のことじゃないんですよね。

笹口:記者会見の時だったか、誰かが、私に買収とかなんとかで愚かな結果が出たらどうするんですかっていう質問をしてきたから、私はそんなことはないと。ないけれども、仮にあなたが心配するようなことがあったとしたら、巻町民はその程度でしかなかったということなんですよ、と答えました。

今井:そして、その程度じゃない町民だったっていうことがわかったんですね。

笹口:そうです。だから逆に言うと、その程度の町民じゃないから、私は、巻の将来は巻町民みんなで決めてくださいと言ったわけだし、将来を決めるに足る町民だったわけですよ。

バックナンバー

リレーメッセージ「第9回 マッド・アマノ(パロディスト)」

胡散臭いものに、容赦ないパロディを浴びせてきたパロディスト、マッド・アマノさん。
原子力マフィアへの痛烈なパンチを込めた、メッセージを寄せてくださいました。


マッド・アマノ


マッド・アマノ(パロディスト)
 「マッド」はアメリカの伝統的パロディー雑誌『MAD』に因んだもの。“不条理に怒る”という意味。
1978年、第24回文芸春秋漫画賞受賞直後、家族とともにロサンゼルスに移住。写真週刊誌『FOCUS』に創刊から休刊までの20年間、巻末にパロディーを連載。『原発のカラクリ』(鹿砦社)など著書多数。
http://www.parody-times.com

 私は「原発国民投票」は行うべきだと考えている。賛同する人のなかに「時期尚早」という消極論のあることも知っている。しかし、大切な事は私たち自身が原発の危険性についてしっかりと向き合い、出来る限り正しく的確な情報を得るべく努力することだ。日本国政府をはじめ世界の原子力マフィアたちは原発の危険性というパンドラの箱に何重もの鍵をかけ、情報を隠蔽する。いや、それどころか「原発は安全」という嘘情報をメディアを通じて流すのだから始末が悪い。私たちの“敵”は彼ら国際原子力マフィアだ、ということを認識する必要がある。

 さて、野田首相は原発問題より民主党の生き残りが気がかりでならないらしい。その好例が環境相兼原発事故担当相だった細野豪志を政調会長に据えた事だ。原発対応で知名度をあげた細野を抜擢することで、政権浮揚につなげようという魂胆がみえみえだ。細野は次期衆院選マニフェスト(政権公約)の策定にもあたるそうだが、すでに「ふくしま」のことなどはまったく眼中にないのだろう。何とまぁ、あざといことではありませんか。実は政府とはこんなものなのだ、ということを私たちは知る必要がある。(細野を皮肉った作品は月刊『創』11月号「風刺天国」に掲載)
原発事故につけ込んで外資が参入している話を私は拙著『原発のカラクリ』(鹿砦社・ろくさいしや)にパロディー作品と文章(17ページ)で指摘した。少し長いがほぼ全文転載する。

「事故から一ヶ月もたたない4月初旬に米ゼネラル・エレクトリック(GE)のイメルト会長兼最高経営責任者(CEO)が来日。東電本社で勝俣会長と会談、事故処理に関して米ベクテル社の協力を仰ぐことで合意した。」

 さてさて、ここで聞き慣れないベクテル社とはどんな会社か?
ベクテル社は年間売り上げ4兆円を超す世界最大、株式非公開の“個人の会社(同族)”である。産業設備と開発を手がけているが、特に力を入れているのは「原子力関係」と空港新増設の分野だ。原発建設シェアはアメリカ国内、韓国、東南アジアで1位。世界で60%という化け物企業だ。

 さて、話を戻すと…。
「(中略)イメルト会長は経団連会長であり住友化学の会長でもある米倉弘昌と密かに会ったに違いない。というのも、住友化学の子会社、日本メジフィジックスはGEヘルスケアとの共同出資で、放射性セシウムによる体内汚染を軽減する薬剤をドイツの製薬会社から輸入し販売する会社だ。事故が起こる前から開発が進められ、昨年7月に厚労省の承認を得た。まるで放射能汚染を予想していたかのような段取りの良さなのだ。想像したくないことだが、体内被曝の被害者が続出したころに、日本メジフィジックスが医療機関での薬剤の販売を遂行し大儲けするという筋書きができていているように思える」(転載、ここまで)

 厚労省による新薬の認可は短期間では得られないものだが、こと今回の新薬承認に関しては“電光石火”といえるほどの早さだ。米倉会長と厚労省の“癒着”があったのでは、という疑いを持つのは私だけではないと思う。その米倉会長が安倍自民党総裁とともに「原発ゼロ見直し」賛同記者会見を行った(10月9日)。多くの国民が「脱原発依存」に賛同しているにもかかわらず、あえて、これに反旗を翻すのには意味がある。背後に米国政府と巨大ウラン・マフィアが控えているからだ。

バックナンバー

リレーメッセージ「第8回 田中 優(環境活動家)」

日本各地を飛び回り、「持続する志」を語り広げる環境活動家の田中 優さんが、メッセージを寄せてくださいました。


田中優


田中 優(たなか・ゆう)
「未来バンク事業組合」「天然住宅バンク」理事長、「日本国際ボランティアセンター」 理事、「ap bank」監事、「一般社団法人 天然住宅」共同代表を務める。
立教大学大学院・和光大学大学院・横浜市立大学の非常勤講師。
HP http://www.tanakayu.com/

 私たちは選挙によってどうしたいかを選ぶことができる。「投票箱の民主主義」だ。そのときの判断基準は何だろうか。「未来の日本をこうしたい」とか、「税金をこう使いたい」というものだろうか。民主党のように政策マニフェストを作っておきながら、マニフェストは実現せずに書いてないことばかり実現するのは言語道断だが、ごった煮になった政策では、実現したいものとそうでないものが混じってしまう。ここから「選びたい政党がない」という言葉が生まれ、「投票箱の民主主義」までをも否定してしまう。特に若い人たちが投票に行かなくなる。それは「主体的に生きていくつもりはないから、どうにでもしてくれ」と白紙委任しているのと同じだ。

 一方で政策選択は、「まとめてセットで」というわけにはいかない。「脱原発を言っているけどファシズム」と、「原発に反対していないけど民主主義者」のどちらを選べばいいのか。「究極の選択」だ。毒と薬は合わせて飲めない。選択は、それぞれを単独で選びたい。そこに必要なのが「国民投票」という仕組みだ。しかし領土問題や紛争のように、人々が感情的になりやすい問題をどうしたらいいだろう。ここから国民投票を否定することはたやすいが、それは一方で政府の機能不全に期待していることでもある。やはり人々の民度に期待すべきだと思う。人々が感情だけで決定しないように、不断の「民際交流」で敵意をなくしていくべきだ。今やEU内でドイツとフランスが戦争するとは誰も考えないだろう。こうした仕組みを作る努力が必要なのだ。

 よく「人々が原発を支えてきた」と言われるが、実際には一度も聞かれていない。福島で現実になったように、何十万人の人々の暮らしを台無しにするほど危険な選択だったのに。政策セットとしては選んだかもしれない。しかし実際には「投票詐欺」ではなかったか。意図を隠したまま、言葉だけ「懸念する、安全性を重視する」というような。

 正しい判断をするには、情報が決定的に重要だ。メディアはいつも人々の意識を操作する。福島県内では「ここに住むのは危険だ」、「食べ物には注意したほうがいい」と言うのは難しい。郷土愛に反するかのように情報操作されているからだ。その一方で、だまされない人たちもたくさんいる。インターネットやSNSの情報が、情報操作を覆していくからだ。

 社会を変えるのはヒーローであってはならない。それではファシズムと同じだからだ。のろまで愚かしく思えても、社会は人々の力で変革されなければならない。人々の力を信じ、人々と共に時代を変えていくのだ。だから、原発の存続を決するのは「国民投票」をするのがいい。


バックナンバー

リレーメッセージ「第7回 辻井喬 (詩人・作家)」インタビュー

辻井喬さんインタビュー

2011年の夏にこの会(市民グループ【みんなで決めよう「原発」国民投票】)を結成するにあたって、辻井喬さんや谷川俊太郎さんが「呼びかけ人」を受けてくださいました。おかげで、会に対する信頼感を増して活動をスタートとさせることができ、今や6200人の賛同人を擁するようになりました。本当に感謝しています。でも、私たちの会には「名ばかり賛同人」はいませんので、今回もこの欄に登場していただきました。長年、市民自治や民主主義というものに対して深く洞察し、発言されてきた辻井さんのお話を、じっくりとどうぞ。


記事中、辻井喬さんは「辻井」、今井一は「今井」と表記しています。


今井:3年前に『マガジンナイン』というサイトで、辻井さんが、日本はなかなか大衆の自立ができてないという話をされています。3.11は、それが大きく変わるきっかけになるのではと期待したのですが、この1年半、3.11以降の大衆、市民の動き、それから政党、政治家の動きを改めてどんなふうにとらえていらっしゃるのでしょうか。

辻井:私はね、あの3.11の大震災、そして福島での原発事故を受けて、逆に日本人は捨てたものではないという認識を持つようになりました。それは、外国では、ああいう災害が起るとたいてい略奪とか放火とか、治安が弱くなったのに乗じて、騒動が起きるが、日本人はなんと見事に近所の人たちと助け合っていた。これはなかなか考えられない事だと、誉めている外国人が多い。「だから日本人は駄目なんだ」と、私がこれまでずっと言っていた事は、こっちの思い上がりかも知れない(笑)。本当はみなしっかりしてる。我慢強いから表に出さないで頑張っている。だけど、いよいよこれは駄目だとなったら、日本人は爆発させるだけのエネルギーを持っていた。知識層が理詰めで駄目だというから駄目に見えるのではないかという点が一つ。もう一つは、あの地方の自治体に、町長、市長、知事でも村会議員でも、リーダーシップを持った人があんなにいたという事は、おそらく日本人でも驚きだったと思う。

今井:つまり日本の政府は頼りなかったけども、地元の首長や議員、あるいは市民のリーダーはなかなかしっかりしていたと。

辻井:しっかりしていました。それで、一時的に中央集権のコントロールがきかなくなった、希薄になりましたよね。各自治体の長は、必要範囲に応じて、速やかに自分で決めて実行しなければならなかった。決定を待っていたら三か月先になるか、半年先になるか分からない。しようがないからって決めた。その結果、その人達の現実を見る力、決め方は相当なものだった。それがこれまで何故出て来なかったか。地方の自治に被さっていた中央集権のかさぶたのような蓋がずっと残っていたから。

今井:それが自治の邪魔をした。

辻井:邪魔をした。ところが、大災害になってそのかさぶたが取れ、必要なことは自分たちでやった。なのに、政府はまた直ぐかさぶたを作り始めた。考えてみると、日本のような発達した産業国家で、100年以上も中央集権システムなのは日本だけ。他の国はみな制度改革をして、例えばドイツなどは、地方が先で中央が後だと直している。日本の場合は明治の頃の中央集権そのものなんで、やっぱりそこに間違いがある。そういう点の日本の作り直し、改造運動が必要な時に、「頑張ろう日本、日本復興だ」と言っていればいいというのは間違い。戦争で焼け野原になった時に「頑張ろう日本」と言ったのと同じ感覚でいてはだめですね。

今井:なるほど。

辻井:やっと医者のOKが出てね。この前、被災地、南相馬市へ行って来ました。やっぱり行ってみないと分からないですね。津波と震災でね、平均して50~60cm地盤が下がっちゃった。人が立ち入れるようになった南相馬市のエリアがね、一面に水が、海水が張っちゃって。そこをいくら埋め立てても、いい耕作地にならない。

今井:海水が入っちゃてるから。

辻井:東大の先生に案内してもらったんですが、行くとね、雉子が飛び立ったり、ウサギやイノシシが飛び出したり、野生がいい意味で進出して来ている。人間が1年そこにいなかったから天敵がいないし。でね、山の上には新しい建物があるんですよ。「あれなんですか」って聞いたら、「子どものための教室です」って。で、「子どもさんはいるんですか」って言うと、「いやー、一人もいないんです」って言うんだよね。

今井:いないんですか。

辻井:みんな疎開してるから子どもはいないのに、いると称して予算がついてそんなものを作った。それこそ自治体の現場を知っている人の意見でお金を使わないと、無駄使いになっちゃう。

今井:要するに地元の土建屋のための公共工事だから、それが無駄であろうが無駄でなかろうが何でもいいって感じですね。

辻井:ですからね、根本的にシステムを変えないといけない事件だったんです、あれは。

今井:なるほど。小手先の事じゃ駄目だ。中央集権の問題も含めて根本的に変えないと駄目なんですね。

辻井:そう思いますね。実際には、地元には立派な人がいるんです。だけど、今ここで自分たちでやっちゃうと、後で中央の省庁から意地悪されたら大変だってね、迷っている人もいるわけですね。とにかく政府や政治家の反応は極めて鈍くて、時代遅れで形式主義ですね。これは良くないです。

今井:東京や大阪では、その政府や議会に抗議する官邸前集会や関電前集会が盛んになってきていますが。

辻井:僕は、官邸前集会などのいろいろなタイプの運動が起こって来ているのは賛成です。今度の場合、労働組合のナショナルセンターとか政党が関与して「やれやれ」と言っているのではないのではないかという感じがありましてね、それはすごい事だと思うのですね。

今井:60年安保とはちょっと違いますか。

辻井:違います。あの時は、共産党、社会党がリーダーシップ、まだセクショナリズムを持っていて自由な運動・デモを抑えにかかった。で、新左翼が生まれちゃった。新左翼のほうはですね、「あの時全員が国会に突入していれば勝てたんだ、共産党のために我々の運動は挫折した」と批判する。でも、僕は、それは違うんじゃないかと思う。つまりあの時に、そういった旧組織のコントロール抜きの運動というのは始めてだった。旧組織も困っちゃったし、混乱は起きた。でも議論した事があるんですよ、ではあの時全学連が全員国会へ突入したら勝てたのかってね。ただ犠牲が増えただけなんじゃないか。

今井:当時、東大の学生だった樺美智子さんのようなね。

辻井:そうです。彼女のような犠牲者が。まあいずれにしても、いわゆる革新勢力が安保闘争によって開かれた新しい事態、運動のうねりに対応できなかったという事は確かですね。

今井:官邸前集会では主催者がすごく冷静なんですよね。抑えて抑えて、決して突入なんか駄目、暴力は駄目、向こうの思う壷になると。あの中にいる市民は成熟していますよね。

辻井:そう思います。

今井:それは辻井さんが、長年がお考えになっていた、市民はこうあるべきだ、大衆はこうあるべきだという理想のかけらがかすかに見えたという感じがしますか。

辻井:僕は、しているんです。ですが、はっきりしたものではない。油断すると見えなくなっちゃう。大事なときだと思います。

今井:ちょっと気になるのは、官邸前集会にあれだけ沢山の人たちが集まっているのですが、次の一手が見えて来ないんですよね。

辻井:はい、そうかもしれない。

今井:それで、近いうちに総選挙が実施されるのですが、深刻な原発事故から1年半も経っているのに、日本では選挙での脱原発票の大きな受け皿を作れないままです。例えば、すでに存在している3つの政治グループ「みどりの風」「緑の党」「緑の日本」が一つになれないでいる。本当に残念なんですが、あんな風に官邸前に20万人もの人が集まっているにもかかわらず、総選挙は結局自民党と民主党、あるいは維新の会なんてところが多数の議席をぶん取っていく。その辺は、辻井さん、どんなふうにお考えでしょうか。

辻井:心配ですね。で、私の勝手な意見を言わせていただくと、橋下っていう人は、僕は信用していません。口はうまいけれど、どっちの方向を向いてしゃべっているのか分からない。そういう人は、私は信用できない。で、どうすればいいか。一つは、これまでいろいろな経験をして来ている労働組合の連合、あるいは共産党といったところの人が、その経験をみなのまえに提供すべきだと思います。それをしてないのではないかな。
俺たちが主導していない運動だから知らないよ、というのはちょっとおかしい。経験を持っている人は経験を、資金を持っている人は資金を、みんなが持っているもので、運動に貢献できるものを集めて盛り上げていかなければならないのに、ちょっと心配ですね。


今井:昔は中選挙区制だったから、例えば共産党でも大阪や京都、東京なんかでけっこう議席を獲得してましたよね。でも、今は小選挙区制で一人しか通らないのだから、社民党も、共産党も、官邸前に集まっている人々、緑の党を作ろうとした人もみな力を携えて、ここは共産党の候補者を推そう、ここは社民党を、あるいは、そういうのも全部なしにして、総選挙用に一つの党の名前を作って候補を出したらどうだ、もうそれしか道はないと主張する人もいるんですが。

辻井:うーん、それは非常に健康な人の発想ですね(笑)。私は健康な人だとしか言いようがなくて、共産党、社会党のセクト主義、これはどうしようもない。今までは何回かね、やっぱり市民運動として候補者を絞って、という話もあったんです。いろんな場面でね。ところがその動きが政党などに伝わるとね、じゃ俺の方が立てる、むしろ壊れようが壊れまいが、自分の派閥というか自分の組織のプラスになることだったら、まあ人殺し以外は何でもやる。それじゃあ駄目なんだよと言いたいんですけどね。

今井:ではどうやったら官邸前に集まっている人や、その後に控えている沢山の目覚めて来た市民のみなさんの力を活かして国会へ代表を送り込むという形に持って行けるんでしょうか。これは難しいんでしょうか。

辻井:いや、やっぱりいい代議士が今みたいに少ないはずはないのでね、あきらめずに現職代議士の本当の考え方に接触して、つまりいい面を引き出していかないといけないなあと思いますね。

今井:ただ自民党政権が終わって、民主党政権に期待をかけたのに、みんながっかりしちゃった。

辻井:それは、がっかりするのは分かります。しかしね、何もトレーニングもしないで野党が自分たちでも政権を取れると思ってなくて、取っちゃった。いろんな不首尾が目立ってもしようがない。でも、とにかく自民党に戻す事だけは止めなさいと私は言いたいですね。

今井:でも自民党に戻っちゃいそうなんですよね。

辻井:戻っちゃいそうなんですか。

今井:おまけに、「原発容認」とはっきり言って戻りそうなんですが。それに、橋下・維新と手を組むかもしれない。

辻井:いや、それは困るな。最悪だね。民主党の中の本当にリベラルな人たちはどうしているんだろう。

今井:その(リベラルな)人たちが、支持政党なしの無党派層と繋がっていかないと。

辻井:いや、私は最近はね、政党の名前にあまり気をつかわないでね、この人達はと思える人の集会に行ってしゃべる事はしている。そうするとね、自民党の中にもいい人はいるんですよ。例えば、河野太郎とか林芳正とかいい人は何人かいるんです。あの人達は党の中では力を持っていない。同じように民主党の中にも本当はいたはずなんです。ただ政権取ったらわけが分からなくなっちゃったですね。

今井:仙谷さんなんかもそうですよね。

辻井:僕もびっくりしてるの。仙谷さん、あれちょっとどうしちゃったのと。仙谷さんを中心に市民政治を盛り立てようという意見があったくらいなのに、いつの間に権力の鬼みたいになっちゃって。

今井:そう、なっちゃって。あんな事故が起きているのに、ベトナムに原発を輸出しにいくとか。

辻井:仙谷さんが行っているんですって。

今井:仙谷、前原の2人でセールスに行ってましたよね。

辻井:それはね、前原さんが行くのなら分かりますよ、そういう人だから。でも、仙谷さんが行っちゃいかんですね。でね、彼のような革新派にも理論的に弱いところがあるんです。つまりね、科学技術の進歩に反対する事は本質的に何かタブーみたいなところがある。これはね、一種の生産力主義ってのかな、生産技術は進歩し、組織率が高まってこそ、革命はできる。

今井:レーニン主義みたいな。

辻井:そうです、レーニン主義ですよ。僕は、生産力主義のマルクスも、レーニンも、そしてスターリンが一番悪くしたと思ってます。ですから、好意的に仙谷さんの言う事を考えれば、昔の生産力主義みたいなものに囚われているんですかね。ベトナムが言うのは分かる、あれはナショナリズム一点張りですから。俺のところは枯れ葉剤の被害を受けた。だけど乗り越えた。それは間違いないんだけど、そんな単純ではない。ここでしっかりしなきゃいけない。しっかりする元はね、母親が子どもを産めるか、子どもを守れるか。そこが原点だ。
母親は100人いたらおそらく98人くらいまで戦争、原発に反対ですよ。「子どもを守る」というこの問題は絶対にあやふやにしてはいけないし、あやふやにできない本質的なものをもっていると思うな。


今井:確かに、新潟県巻町の「原発」住民投票だって、沖縄県名護市のヘリ基地問題の住民投票だって、男性は半々でしたが、女性の7割以上は反対票を投じました(出口調査結果)。さて辻井さん、今のこの時期は市民が、自分たちが主権者として本当に政治や行政の主役に躍り出る事ができるかどうかの大事な時期ですよね、

辻井:そう、本当に大事だ。

今井:市民自治で言えば、これまでいろんな意味で「お任せ」が過ぎたと思うんですよ。さっき仰ったように、民主党が政権を取ったのは良かったのですが、でも私たち市民はそこで民主党政権にお任せしちゃったわけですよね。

辻井:お任せしちゃうのは駄目ですよね。

今井:駄目ですね。で、そういう事もあって我々は、これまで柏崎・刈羽の人たちが原発があってもいいって言ったらいいんだ、みたいな。あるいは、伊方の人が、泊の人が、大飯の人がいいって言ったらいいんだ。だから、都会のやつは口を出すな。これまではそんな感じでした。でもそれじゃあいけないと思って私たちは大阪市や東京で「原発」住民投票実施の請求運動をやったんです。

辻井:都民投票は結局、議会と知事に握りつぶされたんですね。

今井:そうなんです。石原慎太郎さんは絶対反対。都議会も多数決で反対。

辻井:石原ね、あんな悪い奴はいないですね(笑)。

今井:柏崎・刈羽で作っている電力を使っているのは新潟ではなく東京都民だから、都民がしっかり関わって行こうと、その責任と権利があると言って始めたんですが、残念ながら、石原慎太郎さんが反対して都議会も最終的に反対をして、住民投票はできませんでした。

辻井:あのね、とにかく何とかいう、元作家と称するつまらん副知事がいるでしょう。

今井:猪瀬さん(笑)。

辻井:もうどうにもならないよね。

今井:作家コンビですから。日本ペンクラブ・コンビでもありますが。

辻井:知ってます。ああなる前からね。とにかく文学が分かってない。自分が有名になれば何でもする。ほんとに困った人だ。とりまきは、お釈迦様に礼拝するように石原慎太郎に礼拝している。だけど都の職員からは、あんな嫌な奴はない、と言われていますから。

今井:辻井さん、国民投票はどうですか。私たちは何としても国民投票で原発の存続に決着をつけたいと考えてるんですが。

辻井:国民投票は断じてやるべきです。だけど、その、煮詰めて煮詰めてひっくり返されないようにしないと。というのは国民投票というのは諸刃の刃ですからね。だからそこのところをどうクリアするかという問題が一つある。

今井:ルール設定、設問をいじられたりして。

辻井:そうそう。それがちょっと心配なだけで、目的自体は大賛成ですね。あまりお役には立ってませんが。

今井:そんなことはありません。辻井さんや浅田次郎さん、天野祐吉さんといった方々が賛同人として名を連ね、こうしてウェブサイトに登場して下さることが、私たちの会や運動への信頼感を高めています。去年の6月、何のコネもない私たちが、みなさんにお手紙を出させていただいた時、一番初め、翌日すぐにファックスで「賛同人になる」と返事してきて下さったのが、谷川俊太郎さんだったんですよね。あまりの早さにびっくりしたんですが。

辻井:偉いね、あいつも。

今井:で、その次に早かったのが辻井さんだったんですよ。

辻井:ほんとに(笑)

今井:今でこそ、沢山の人が当たり前のように賛同人になって下さっていますが、最初は谷川さんと辻井さんが返事を下さって、僕らすごく勇気を貰ったんです。本当に有り難うございます。

辻井:私はね、「原発」国民投票の運動をみなさんがしてくれるのはとても有り難い事だと思っています。

今井:何とか、谷川さんも辻井さんも私も、みんなが元気で生きている間に国民投票を実現したいと思ってます。

辻井:そうね。できればいいよね。油断しちゃいかんけど、これは絶対世論の支持は取れるテーマですからね。じゃんじゃん押して行くしかない。

今井:そうですね。今度10月14日にリトアニアで、政府が認めた日立・GE製の「原発」建設を認めるかどうかっていう国民投票があるんです。で、私たち会のメンバー10人が調査をしに行こうという事で、1週間にわたって現場に赴きます。どんなルールでやるのか、どんなふうな宣伝合戦をしてるのか、討論会はやってるのか。いろいろ、調査して来ようと思っています。

辻井:いいですね。

今井:また現地で手に入れた資料をお届けしますので、よろしくお願いします。

辻井:分かりました。行ける人はどんどん行ってください。私なんか、鎌田慧さんや大江健三郎さんや落合恵子さんに「あなたもデモや集会に出て来なさいよ」と言われ、行きたい気持ちはあるんですよ。でもドクターストップがかかっていて。やっぱり健康の問題があって、今無理して行ってバテるよりは少しでも長く続けるためにと我慢しているんです。ただ、後ろの方の座席にいてもワーワーいうだけは言わせてもらえればいい、そう言ってるんですけどね。

今井:わかります。みなさん、わかっていらっしゃいます。どうぞご自愛ください。きょうは本当にありがとうございました。


辻井 喬(つじい たかし) プロフィール
詩人・作家。本名:堤清二、現在公益財団法人セゾン文化財団理事長。1927年東京生まれ。
1955年に詩集『不確かな朝』を刊行以来、数多くの作品を発表。2006年に第62回恩賜賞・日本芸術院賞を受賞。2012年に日本現代詩人会主催の先達詩人顕彰を受賞。日本芸術院会員、日本ペンクラブ理事、日本文藝家協会副理事長。
近著に詩集『死について』(思潮社)、小説『茜色の空』(文藝春秋)、回顧録『叙情と闘争』(中央公論新社)、詩論集『生光』(藤原書店)、評伝『司馬遼太郎覚書』(かもがわ出版)、紀行『古寺巡礼』(角川春樹事務所)、エッセイ集『流離の時代』(幻戯書房)などがある。


バックナンバー

リレーメッセージ「第6回 湯川れい子(音楽評論・作詞家)」

音楽を通して常識にとらわれない、柔軟な心を大切にされてきた湯川れい子さん。
そんな湯川さんが今回、原発をどう考えるかについてメッセージを寄せて下さいました。


湯川れい子


湯川れい子
東京都目黒区生まれ。1960年、ジャズ専門誌『スウィング・ジャーナル』への投稿が認められ、ジャズ評論家としてデビュー。以来、ラジオのDJ、音楽評論、作詞、著述、ボランティア活動など多岐にわたって活躍。
音楽事務所「Office Rainbow」、ボランティア団体「RAINBOW NETWORK

 小指の先ほどの狭い地震大国に、原発など無いほうが良いに決まっている・・と、野田さんも、細野さんも、石原さん親子も、谷垣さんも、森元首相も、経団連の米倉さんも、きっと内心では考えていらっしゃるのでしょうね。

 それでも本気で、「いや、石油は高すぎるし、不安定だし、火力は温暖化に結びつくし、ウランは永久再利用できる夢のエネルギーだ。たまたま千年に一度の規模で起こった地震で被害を受けたからといって、ここで原子力を手放したら、日本の未来は無い」などと考えていらっしゃるとしたら、それは想像力の欠如どころか、完全な感性不全疾患という、人間として致命的な心の病気だと思います。


 とはいえきっと、組織の中に居ると、「明日それでエネルギーが足りなくなったら、国民は脱原発などと言っていても、大変な騒ぎになる。この経済状況の中から何兆円も出して、石油を買い続けることは不可能だ。すぐに原発ゼロなんてことにしたら、廃炉に莫大な金がかかる。人材も足りない上に、何十年も競争力を失う。将来は無くしていくにしても、今すぐに動かせる原発は動かすべきだ」という意見が、政界、経済界、そこに寄りそって生きているメディア、つまり電力関係の労働組合から日本銀行まで、日本経済を支えていると考えている人達の良識であり、常識なのかもしれません。


 だから脱原発を叫んで何万人が毎週集まっても、メディアはほとんど無視。原発直下に地盤を動かす可能性が高い断層があると解っていても、今までの安全評価基準である「活断層の真上に原子炉を立ててはならない」という文言を変えて、一部の断層については、たとえ原発の近くにあっても、直接の影響は少ないと評価する新基準を新しく作り直そう・・・なんてことを、政府はなりふりかまわずやろうとするのでしょう。


 夜も寝ないでこうこうと電気をつけて、新安全基準作りに一生懸命になっていらっしゃる保安院やお役人の方達だって、かわいい女房子供さんはいらっしゃるでしょうに、そこでまた男性社会、業界や組織の中での「良識」「常識」という手かせ足かせが、個人の感情や感性を麻痺させてしまうのでしょうね。情けないことです。


 そこで私は、もう一度、30年以上もの間、ずっと心にわだかまってきた疑問と、質問と、お願いを、改めて申し上げたいと思います。


 ①「新しい安全評価基準が出来たとして、使用済み燃料、高レベル核廃棄物がそのままプールされている原発の真下、あるいは近くで、大きな地震による亀裂が出来て、そこに原子炉そのものや、使用済み燃料などが落ちたりしたら、チャイナ・シンドロームになるのではないか。そんな心配は絶対に無い!と、誰が責任を持って保証できるのですか?それはどんな責任の持ちかたでしょうか。


 ②「日本は小さな島国で、周囲には太平洋プレートやフィリピン海プレート、北アメリカプレート、ユーラシアプレートなどが縦横に走っています。日本学術会議は、どんな形で、高レベルの核廃棄物である使用済み燃料を地中や海中に埋めても、日本という土壌の条件からは、安全処理の手段は無いという答えを出しました。
 今から再稼働するまでもなく、すでに溜まり続けている使用済み燃料を、どこにどう処理するのでしょうか。それだけ危険な物の処理が出来るメドも無いのに、どうして50年間以上も、原発を増やし続けて来て、つい最近までも、まだまだ増やすつもりでいたのでしょう?それが見て見ぬふりの誤った判断だったとは、今現在の時点でも、誰も認めて反省しようとしないのはなぜなのですか?結局、何が起きても、誰も責任を取らないということでしょう。今も、そしてこれからも。


 ③「電力供給が不安定で、海外に出て行く企業があるから、原発を動かすべきだ、という主張がありますが、これは労働力のコストが安いからであって、まず取りあえずは火力、水力など、現在作られている電力を、スマートグリッドを使って必要な所に供給しながら、こんな時ほど目先の欲ではなく、自国の雇用を考えるべきでしょう。そして政府はがんばっている企業に、あらゆる優遇措置を与えて、一日も早く発電・送電を切り離し、電力自由化と、コミュニティ発電への助成をする。その結果、10年間もあれば日本は世界の安全電力供給のモデル国家になるのも夢ではないと考えています。だって現実に、今こうして電力は足りているのですから。
 もしこれでもう一か所だけでも、福島レベルの原発事故が福井や静岡あたりで起きたら、企業の海外脱出を心配するどころの話ではなく、日本全体が生きていけなくなる。今こそ、その恐ろしい可能性に目を向けるべきではありませんか?


 ④「最後に、本当に国の安全を考えたら、この小さな島に54基の原発。海から空から狙われて攻撃されたら、日本は即沈没、大汚染です。どうやって自衛できるのか、石原さん、石破さん、安倍晋三さん、森本敏さん、櫻井よし子さん、どうぞこの心配性な私や、未来の子供たちに教えてください。憲法九条を変えて、自衛隊を軍隊にして、アメリカからオスプレイやらミサイルやら、莫大なお金で武器を買って防衛したところで、四方を海に囲まれている小さな国では、守りようも防ぎようもありません。もっともっと外交力とビジネスでの協力体勢を作り、原発から爆発する燃料を一日も早く抜き取って、廃炉にするしか無いのではないでしょうか。間違っていたら、どうぞバカな私にも解るように教えてください」



バックナンバー

リレーメッセージ「第5回 ピーター・バラカン(ブロードキャスター)後編」

記事中、ピーター・バラカンさんは「バラカン」、今井一は「今井」と表記しています。


YesにしてもNoにしても、みんなで決めなきゃダメ。
国民もね、自分の声をそこで出さないと無責任ですよ。

今井:日本ではまもなく、3・11以降初の国政選挙、総選挙が行われることになりそうですが、今のままでは自民党が多数復活して、原発推進派の議席が逆に増える。「選挙では脱原発」の民意が反映されない可能性が高くなっています。私は「原発」の問題は国民投票で決着を付けるしかないと考え、仲間と一緒に【みんなで決めよう「原発」国民投票】という市民グループを立ち上げました。バラカンさんにもこの会の賛同人になっていただいてるのですが、「原発」と選挙、原発と国民投票についてどんな風にお考えになっていますか。

バラカン:今、世論調査や政府がやったパブリックコメントの聴取からみれば、「原発はゼロにすべき」だと考えている国民が半分近くいて、この先さらに増えるはず。そして過半数になったらその民意をきちんと聞いて政治や行政に反映する以外に道はないと思う。僕個人の意見としては、大昔から、チェルノブイリ原発事故よりも前から、原発はダメだと思っていた。要するに、放射性廃棄物を出すということは、無責任極まりない行為で、あと何万年も地球を汚染することにもうなってしまっているからね。これは取り返しのつかないことだけれど、もうこれ以上続けてはならない、というのが僕の考え方です。でも、僕だけの考えでは世の中は回らない。少なくとも日本に関しては、福島の原発の周りは、すでにかなり汚染されていて、相当遠い先まで誰も住めない状況なのだから、日本人にとってのんびり考えていられる問題ではないんですよね。「原発」推進か廃止かを政府が決めるためには、まずね、国民がどう考えているか、日本人全員が自分の意見を聞かせて、その民意を反映した政府の判断でなければ意味がない。政治家たちや財界のリーダーたちがみんな、原発は経済のためと言ってるけど、「じゃあ、何?みんな金持ちになって死にたいの?」

今井:それはお一人でどうぞ。他人、特に子どもたちを巻き込むなと。

バラカン:そう。すごく単純に聞こえるかもしれないけど、要はそういうことだと思うんですよ。

今井:もちろん選挙は大事だし、次の総選挙で立候補した人が「原発ゼロ」に賛成なのか反対なのか、我々が投票する前にそれをしっかり問いただし見極めることは意味がある。それはそれとして、主権者自らが直接決めるというのはもっと大事で意味がある。そして、自分たちで責任を取るということです。

バラカン:この国では憲法を改正しなければ国民投票ができないということが、また一つ大きな問題だと思うんですよ。民主主義の国で国民投票ができない国はどれくらいあるんですか。

今井:ほとんどないです。ナポレオンの時代から数えて、世界中で1150件の国民投票が行われてますから。アイルランド、フランス、イタリア、スウェーデン、スイス。バラカンさんが生まれたイギリスだってやってます。それとバラカンさん、憲法を改正しなくても日本で国民投票することはできますから。かつてスウェーデンがスリーマイルの原発事故の翌年(1980年)にやったように、諮問型の国民投票だったら、憲法を改正しなくてもできるんです。

バラカン:諮問型って?

今井:諮問型というのは法的拘束力のない国民投票です。

バラカン:「しもん」って、この指の「指紋」ではなくて、諮問機関の「諮問」ね。YesかNoか指紋をどちらかに押すのかと思った(笑)。そうなのか、憲法を変えなくてもいいんだ。

今井:はい。ですから我々はそれをやろうとして、この運動をしているんです。すでに国民投票法の市民案も作っていまして、国会がこうした法律を制定すれば、諮問型国民投票は実施できるんです。先日行われた民主党の代表選挙では、それをやるべしと主張した候補者(原口一博氏)も出ましたよね。

バラカン:法的拘束力がないものだったら、インターネットで勝手にやっちゃえばいいじゃない。

今井:いえ、それはまた別の話です(笑)。厳正なルール、きちんと議論をしたうえでやれば、結果が尊重されます。国の予算で公的にやったからこそ、スウェーデンにしても、EU憲法批准についてやったオランダにしても、結果がちゃんと尊重されるんです。今度我々が現地調査に行く10月14日のリトアニアの「原発」国民投票。これも法的拘束力がありません。けれども、結果が尊重されるのはきちんとしたルールで公的にやるから。そこが大事なところですよね。
 日本では、96年の8月4日に新潟県巻町で原発の住民投票が行われたんですが、それ以降住民投票は402件行われています。この住民投票はすべて法的拘束力はないんです。条例に何と書いてあるかといったら、「結果について市長や議会はこれを尊重しなければならない」とあります。「従わなければならない」とは書いてありません。けれども、新潟県の巻町だって、刈羽村だって、三重県の海山町だって、全部住民投票の結果通りになっているんです。その後、議会選挙では原発、プルサーマル反対派は負けていますが、住民投票の結果は守られています。


バラカン:なるほどね。

今井:じゃあ、なぜ法的拘束力のある国民投票が日本でできないかというと、日本の憲法に、「国会は国権の最高機関で唯一の立法機関である」(41条)と書いてあるから。国民投票の結果によって、国会で決めたことをひっくり返すわけにはいかないからです。しかし、イタリアの場合、国民が納得がいかない場合は、国民が国民投票でひっくり返すことができる、法律を廃止できると憲法に記してあるんです。だから去年、イタリアでベルルスコーニ首相が、「イタリアは原発を再開する」と言って法律も整えましたが、国民が国民投票でひっくり返しましたよね。ベルルスコーニは従わざるを得なかった。本当はそういう強力な国民投票をやればいいんですが、憲法を41条を改正している時間がない。だから、まずは諮問型でやろうと。諮問型だったら政府が結果を反故にする、守らない可能性があるとよく言われるんですが、それは大丈夫です。だってね、世界中で、1150件の国民投票が行われているのに日本では、一回もしたことがない、一回も。その日本が、日本という国ができて初めて国民投票をやるとなったら、しかも「原発」についてやるとなれば世界中が注目する。世界が見ている中で政府がその結果を反故にすることなんかできないですよ。だから、それをやるための運動なんです。かつて民主党は、憲法以外でも、生命倫理の問題、臓器移植とか、脳死の問題、統治機構の問題、あるいは原発の問題、こういう問題も国民投票にかけるべきだと政権に就く直前までは言っていました。しかし、政権に就いたのにやらないから、私たちは彼らを厳しく批判しています。

バラカン:その「原発」国民投票は実現可能ですか?

今井:可能です。現に、民主党の中でも先ほどお話したような声が上がっていますし、何より主権者である国民の7割以上がそれを望んでいるんだから。
 それで、バラカンさん、実を言うと我々は、2000人の衆議院議員予定候補者と現職の議員全員に「原発国民投票を実施することに賛成するか、反対するか」という公開質問状を差し出しました。回答については、今月末からすべてHPに公開する予定です。そのあとは議員個人へのロビー活動を強め、なんとか国民投票法の制定に持ち込みたい。そんなわけで、この先もお力添えをよろしくお願いします。


バラカン:もちろん、そうした活動に大賛成です。仮にね、国民投票をやって国民の60%が再稼働することに決めたとしても、それは悲しいけれども、仕方がない。国民がそう決めたんだったら。

今井:そこなんですよ。主権者が決めたことならばね。でも、反原発派の一部の人たちは、そうなるのが怖いから国民投票は嫌だと言っている。彼らは、なかなかバラカンさんのようにはわかってくれない。そこが我々の悩みの種なんですよ。バラカンさんは、なぜ6対4で負ける可能性があってもやるべきだとおっしゃるんですか。

バラカン:なぜって当たり前のことじゃないですか。要するに、民意を諮るわけですから。民意はやってみないと、どっちに行くかわからない。日本人の多くの人たちがどう考えているかを、とにかく一度はっきりさせるべきです。それだけですよ。

今井:つまり、バラカンさんはバリバリの反原発派だけれども、それはそれで、しかし、国民投票はやるべきだと。

バラカン:そう。僕の独裁で決められれば、それは嬉しいですよ(笑)。でも、残念ながらそんなに世の中は甘くないんだからね。原発の問題は今の日本が抱えている最も深刻な問題だと思うんです。財政赤字や消費税の問題など大変な問題もあるけれども、生きるか死ぬかという命の問題にもなりかねないのが原発問題ですから、とにかくこれだけは最優先にして決めなくてはならない。そして、政治家たちの力だけでは決められない。決めてはいけない。

今井:無理ですよね、責任なんて取れないもの。野田さんは取るって言って大飯原発の再稼働を宣言したけど。

バラカン:そうそう。野田さんの安い政治生命をかけられてもね。

今井:本当に傲慢ですよね。この国の子どもたちの未来を自分の安い政治生命と引き換えにできると思ったら大間違いですよね。

バラカン:本当にそうだと思う。だから、とにかくね、YesにしてもNoにしても、みんなで決めなきゃダメ。国民もね、自分の声をそこで出さないと無責任ですよ。それをやらなければ、「じゃ、永田町の連中に全部一任してもいいってこと!?」になるわけじゃないですか。「じゃ、あとで文句言うなよ」ということになる。

今井:そうなんですよ。我々から考えたらこれはもう常識なんですけどね。反原発派の中にもどうしても国民投票は嫌だと言う人がいるんです。東京都民投票の時にも、反原発運動を30年間やっている都議会議員が都民投票条例制定に反対票を入れたんです。

バラカン:ええっ?何で?

今井:都民投票をしたら、反原発派が負ける可能性があるから嫌だって。絶対勝つという状況じゃないと嫌だって。

バラカン:(絶句、ため息)

今井:もう、がっくりでしょう?
 さて、今度ぜひ一緒にイベントをやりましょうよ。バラカンさんのお話をお客さんにも是非聞いてもらいたい。


バラカン:ええ、いいですよ。約束しましょう。

今井:よかった。きょうは本当にありがとうございました。


ピーター・バラカン プロフィール
1951年ロンドン生まれ。ロンドン大学日本語学科を卒業後、1974年に音楽出版社の著作権業務に就くため来日。現在フリーのブロードキャスターとして活動、「Barakan Morning」(インターFM)、「ウィークエンド・サンシャイン」(NHK-FM)、「CBS60ミニッツ」(CS ニュースバード)、「ビギン・ジャパノロジー」(NHK BS1)などを担当。著書に『200CD+2 ピーター・バラカン選 ブラック・ミュージック アフリカから世界へ』(学研)、『わが青春のサウンドトラック』(ミュージック・マガジン)、『猿はマンキ、お金はマニ 日本人のための英語発音ルール』(NHK出版)、『魂(ソウル)のゆくえ』(アルテスパブリッシング)、『ロックの英詞を読む』(集英社インターナショナル)、『ぼくが愛するロック名盤240』(講談社+α文庫)などがある。twitterのアカウントは@pbarakan


バックナンバー

リレーメッセージ「第4回 ピーター・バラカン(ブロードキャスター)前編」

記事中、ピーター・バラカンさんは「バラカン」、今井一は「今井」と表記しています。


事実を隠して言わなかったことを棚に上げて、白々しいといったらない。
あの白々しさ、僕は許せない。

今井:バラカンさんはロンドン大学の日本語学科をご卒業でしたよね。
 私は80年代にワルシャワ大学日本語学科の学生や先生方と、かなり交流があったんですが、ロンドン大学日本語学科はどんな感じのところなんですか。歴史は古いんですか。


ピーター・バラカンインタビュー前編バラカン:歴史は古いかな。始まったのは確か第二次世界大戦中。スパイ活動つまり諜報活動の一環で始まったんだと思う。

今井:あの大戦中、日本は敵国だったから。

バラカン:イギリス側の誰かがきちんと言葉を習得しないことには、軍国主義だった日本が何を話しているのか、どんな企みを持っているのかがわからないということだったんじゃないかな。

今井:それで、バラカンさん自身が数ある学科の中から日本語学科を選ばれたのは、なぜなんですか。

バラカン:理由はない。ものすごくいいかげんです(笑)。

今井:でも、とりあえず経済学部にというのはあっても、とりあえず日本語学科にというのは普通ないですよ。

ピーター・バラカンインタビュー前編バラカン:語学好きっていうことがあったね。語学が好きだったら意外と行っちゃう。特に日本に興味があったというわけじゃないし。日本社会がどうなっているのかも知らなかった。例えば日本語を表わすのに漢字があって平仮名があってカタ仮名があってなんて当たり前のことも、何にも知らなかった、語感がどういう語感なのかとかもわからない、ものすごく甘い考えでしたね。

今井:じゃあ、ご苦労されたでしょう。

バラカン:それなりにね。

今井:卒業されてから日本に来たわけですよね。

バラカン:日本へ来たくて来たわけじゃなくて、音楽関係の仕事がしたくてロンドンのレコード店で働いていたら、日本の会社が求人していて、その広告を見て応募したの。

今井:そうだったんですか。それで日本へ来られたのはいつなんですか。

バラカン:昭和で言うと49年。

今井:ということは1974年。 

バラカン:最初のオイルショックの翌年ですね。経済成長の真っただ中だったんだけど、大学に入る前まで、日本については、本当にGEISHA・FUJIYAMAといったステレオティピカルなイメージしかなかったね。

今井:それが今や日本人以上に日本社会を鋭く捉えているわけですが、広い意味ではバラカンさんの仕事もジャーナリズムの枠の中に入ってますよね。

バラカン:いや、僕はジャーナリストでも何でもなく、あくまで一つの報道番組を司会者の立場でずっと担当しているから、欧米の社会事情について、それなりに詳しくなったという程度で。それ以外に、日本の国内政治などについて何を知っているかと言ったら、ほとんどわかってないですよ。

今井:とはいえ、3・11以降の日本のジャーナリズム、マスメディアについては、おかしいぞと思われたことがあるのでは。

バラカン:おかしいということには、とっくに気が付いてました。テレビのニュースを見ていてね、どこの国でも国内ニュースがメインになるのは仕方がないんですよね。でも、日本はあまりにも、世界で大変なことが起きているのにもかかわらず、それを全く報道せずに、国内のスポーツの話題とか、お天気のこととかね。
 この国には毎年台風が来るのはわかってるんだから、いちいちそれをトップニュースに持ってこなくてもいいでしょ。スポーツの国際大会で日本人がメダルを取ったからといって、それがその日のトップニュースでなくてもいい。そういう意味では、この国のジャーナリズムはどっか故障してるということに、とっくの昔に気付いてました。要するに、価値判断というか、優先順位というものがどっか狂ってるよね。
 日本の方と話していると、まずね、世の中で起きていることに興味を持たない人が多すぎる。それと、世界で何が起きているかを知らなさすぎる。詳しいことは勿論知らなくても当たり前だけど、戦争や紛争になっているっていう国がどの辺りにあるかも知らない。例えば、山本美香さんが撃たれたあのシリアに隣接する国を二つ挙げてみなさいと言っても答えられないとかね。


ピーター・バラカンインタビュー前編今井:バラカンさん、隣接する国どころか、シリアが地球のどこにあるかを知っている日本人はほとんどいませんよ。

バラカン:かもしれないね。

今井:その日本のジャーナリズムに対する不信感というか嫌悪感というものが加速度的に増幅したのは、やはり3・11以降ですか。

バラカン:そうです。もちろん、福島の事故以降、当時官房長官だった枝野さんが記者会見の時に見せたあの顔。あの顔の表情が全てを物語っていたんですよ。あの人ね、たぶん悪い人じゃないと思うんだけどね、立場上本当のことを言わせてもらえないというところもあるでしょう。とにかくね、顔見て、「あっ、この人は嘘をついている」と思った。誰でもね、本能的にわかると思う。

今井:「ただちに人体、健康に害が無い」ってあのセリフですか?

バラカン:あの言葉一生聞きたくない。今は「ただちに」って言葉を聞いただけでもぞっとするんですよ。
あの時から、これは絶対嘘だと思ってた。でも、インターネットがあるからね。海外のメディアを見てると、みんな、事故の二日目くらいから「メルトダウンしているに違いない」ということも言ってたのに、日本のメディアはずっと後になって「事故の翌日にメルトダウンしていた」なんて言ってる。自分たちが二カ月も三カ月も、事実を隠して言わなかったことを棚に上げて、白々しいといったらない。あの白々しさ、僕は許せない。どこのテレビ局も、テレビを見ている人たちの記憶力がそんなにも悪いと思っているのか、馬鹿にしているよ。


今井:それは本当にそうですよね。今回も呆れました。首都圏反原発連合のみんなが官邸の中に入って野田首相と会ってきましたが、ずっと支援していたIWJとかはその取材が許されなくて、大手メディアしか中に入れさせない。

バラカン:岩上さん入ってなかったでしょ。

今井:田中龍作さんが会談後に開かれた首都圏反原発連合の記者会見で質問したんです。「我々が官邸に入れなかったのは、あなた達が断ったのか、政府が断ったのか、いったい誰が断ったのか」と。そうしたら、ミサオさんが「私は、政府サイドが記者クラブに遠慮して入れなかったと聞いている」と言ってました。

バラカン:遠慮した?

今井:記者クラブがフリーランスやIWJの官邸内立ち入り取材を断る形にしないで、政府が一応断ったんだけれども、それは記者クラブの気持ちを斟酌したと。馬鹿げてますよね。

ピーター・バラカンインタビュー前編バラカン:んんー。この国は本当に絶望的だね。実は今日のラジオの番組で読ませてもらえるんだったら読みたいと思ってるんだけど、朝日新聞の小田嶋隆さんの記事。先日の朝日に載っていたインタビュー記事で、「小さい政党に票を入れるということは、ある意味票を捨てることになるんだけれど、でもね、圧倒的多数の人が小さい政党に投票すれば、それは強いメッセージになる」という内容。もうね、今の民主党ダメだわ。かといって、自民党はもっとダメ。
 ま、僕は参政権持っていないから悩まずに済むけどね(笑)。この国は本当にそろそろ革命でも起こさない限りダメだと思う。


今井:本当にそう。ちょっと上っ面だけいじくるようなことをしてもだめ。根こそぎ改める革命的なことをやらないと。89年の東欧みたいに。当時、絶対に変わらないと見られていた東ドイツが変わった。日本の官邸前デモは金曜日だけど、東独のライプツィヒでは、あの恐怖体制下で毎週月曜日に数万人規模のデモが起こってそれがベルリンに波及していき、やがてチェコのプラハにも。ついにはバーツラフ広場に連日30万人が集まり、共産党政権を打ち倒すビロード革命が実現しました。それが、バルト三国のソ連からの独立やソ連崩壊へとつながっていく、いわゆる東欧連鎖革命ですよね。私はずっと、それを現場で見聞きしました。

バラカン:あの頃は、ほんと、わくわくする時代だったよね。


ピーター・バラカン プロフィール
1951年ロンドン生まれ。ロンドン大学日本語学科を卒業後、1974年に音楽出版社の著作権業務に就くため来日。現在フリーのブロードキャスターとして活動、「Barakan Morning」(インターFM)、「ウィークエンド・サンシャイン」(NHK-FM)、「CBS60ミニッツ」(CS ニュースバード)、「ビギン・ジャパノロジー」(NHK BS1)などを担当。著書に『200CD+2 ピーター・バラカン選 ブラック・ミュージック アフリカから世界へ』(学研)、『わが青春のサウンドトラック』(ミュージック・マガジン)、『猿はマンキ、お金はマニ 日本人のための英語発音ルール』(NHK出版)、『魂(ソウル)のゆくえ』(アルテスパブリッシング)、『ロックの英詞を読む』(集英社インターナショナル)、『ぼくが愛するロック名盤240』(講談社+α文庫)などがある。twitterのアカウントは@pbarakan


バックナンバー