リレーメッセージ「第18回 山田 真(小児科医)」

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山田 真(やまだ・まこと)
1941年岐阜県生まれ。小児科医。東京大学医学部卒業。1970年より八王子中央診療所(東京都八王子市)勤務、現在同診療所理事長。『はじめてであう小児科の本』、新刊『小児科医が診た放射能と子どもたち』など、著書多数。雑誌『ちいさい・おおきい・よわい・つよい』編集代表。東日本大震災以降、福島市内で健康相談会や勉強会を開催している。「原発」国民投票賛同人。「原発」都民投票の直接請求では、請求代表者をつとめた。

選挙も直接投票も、前哨戦が大事

 「原発」都民投票の直接請求のときに、生活クラブとのつながりで依頼され、請求代表者になりました。文化人や著名人だけでなく、マイノリティといわれる人が応援団として加わってくれることが大事だと考えていて、そういう人達とつながりのあるぼくが代表者の一人として名前を連ねることは、プラスではないかと思ったのです。
 でも、投票が実現したらかなりしんどいな、という感じだった。原発推進の票が圧倒的に多かったりすると、反対派には壊滅的な打撃だと思うんですね。そう思いながらも請求代表者を引き受けたのは、投票をすること自体は正しいと思うから、なのですが……。
 つまり、世論調査で原発反対が多くても、投票ということになると保守層が精力的に動いて、ひっくり返ってしまわないかと思うのです。長年、地元候補者の選挙応援に関わって、自治会にまで浸透している保守層の地盤の強さを実感してきたからね。診療所でも、ある宗教関係の政党の党員である患者さんは、選挙前に診察に来れば「先生、○○さんに投票して下さい」と言う。びっくりするけれど、本来はそれくらいの熱意や働きが正しいんだろうな、と思う。住民投票や国民投票も、投票が実現する前にいかにそういった地盤を築けるか。実際に「原発」住民投票をやった巻町(旧新潟県西蒲原郡巻町・現新潟市)のような事例を分析すれば、どうしたらいいかが見えてくるのかもしれないね。とてもシビアな状況でやったのだから。
 都民投票の署名活動を街頭に立ってしてみて、すごく意外だったことがある。若いお母さんたちは子どもの生命(いのち・ルビ)を第一に考えるのがふつうだから、投票を支持してくれるだろうと思っていた。だけど、実際に署名をしてくれる女性の多くは高齢者で、子連れの若いお母さんは見向きもしないという感じだった。むしろ高校生くらいで街頭演説を聞いてくれる子たちがけっこういたから、あの世代をつかまなくてはいけないと思った。やっぱり、原発安全教育で洗脳される前の子どもたちに原発のことを考えてもらわなくちゃいけない。
 でも、原発について子どもたちに伝える機会がない。学校の先生たちの多くは、放射能や原発を教える力がない。知識がないし、忙しいから勉強もしない。文科省が原発推進の副読本を出してくるのに、反対派にはそれに対抗するものを用意する力がない。だから、教育現場では副読本を「使わない」というのが、消極的だけど最大の抵抗になっています。昔は「自主編成」といって、国が作っている教科書に対抗して教員が自主教材を作り、授業をしたものですが、今はそういうことをする教員もほとんどいなくなってしまいました。

認めたくないことは見ない、という悪知恵

 ヨーロッパには、パルチザンの伝統を持つ国が多く、国に抵抗する市民組織が強い。日本は、何かあるたびに神風が吹いて(笑)、運よく最悪の事態に至らずすり抜けてきた。自分たちを守るために市民が力を尽くして争うという伝統がない。僕は敗戦のとき子どもだったけれど、おふくろに「山へ逃げないと殺される」と言われて、日本全土が沖縄のように蹂躙されると思っていた。負けるというのはそういうことだと覚悟していたが、「鬼畜米英」が一夜にして「チョコレートをくれる優しいおじさん」になっちゃった。だから、今も日本人は最悪の事態を考えない。
 僕は今、東北で地震が起きると「(福島第一原発のある)浜通りじゃないか」と確認せずにはいられないけれど、そういう人がどれだけいるだろう。2011年の3月14、15日頃が、本当に日本が壊滅するかもしれない大ピンチだったという認識が、多くの人にはないんだろうね。巧妙に隠されてしまったから。
 例えば伊方原発は南海トラフの真上にあって、大地震が起きて事故になれば瀬戸内海が全滅する。それが日本にとってはかりしれない災厄になるだろうと考えると、原発事故は絶対に起こしてはいけないんだ。だけど、「そうそう悪いことは二度も三度も起こらないよ」とか、「起こっても何とかなるもんだ」となってしまう。結局、沖縄に米軍基地を押し付け、今、福島に原発事故の被害を押し付けているように、ひどいことをされた人たちのことは見ないようにして生きていくのが生き残る道だと、日本人の多くが学んでしまったのではないだろうか。
 私たちは大学闘争の中心的な世代だけれど、フランスで学生闘争から近代の問い直しが行われたような文化的な成果が、日本にはなかった。科学についても、それが本当に役に立つものなのか、危険なものなのかといった問い直しをしなかった。福島第一原発の事故当時、一番信頼していた小児科医の後輩を「一緒に福島で健康相談会をやらないか」と誘ったら、「そんなことより禁煙運動をやった方がいい」と言われ、すごくショックを受けた。もう、どこから話をしたらいいかわからない、という感じでした。彼らは学生運動の経験からなにを学んだのでしょう。

ぼくにできるのは、福島で聞いたことを伝えること

 いろんな地方に行き、福島から避難している人とたくさん会ってきたけど、いつも最初に訊ねられるのは「故郷はもう帰れる状態になっただろうか」ということ。大半の人が帰りたいと思っていると感じます。先祖代々の土地に根付いて生きてきた人は簡単に引っ越せないし、特に田舎だと子は親から離れられないから、お年寄りが福島に残ると言えば家族も一緒に残る、というケースが多い。
 福島では、言いたいことがいっぱいあっても、まわりの人には言えない、という状態になっている。ぼくが福島市内で開いている健康相談会に来て、不安や愚痴を吐き出したら、その場ではすっきりするようですが、それで終わりになってしまったらすごくまずい。そういうエネルギーを、何かかたちにすることに向けなければいけないのに、と思うのです。しかし彼らに「国や県に要求することはないですか」と訊ねても「何もありません」という。本当は要求したいことが山ほどあるんだけど、それを言ってもどうせ実現できないだろう、と諦めているんでしょうね。
 福島から遠くへ自主避難している人達にいろいろ話を聞いていると、福島に居残っているお父さんが、すごくたいへんだということがわかってきた。家族の意見が一致せず母子だけが避難すると、「親父の甲斐性がないから妻子が逃げた」と言われてしまう。「避難行為は風評被害を大きくしているだけだ」などとまわりから責められる。だから遠慮しながら生きていかなくてはならない。お父さんは妻子が心配で会いに行きたいが、交通費の捻出もままならず、年に1度しか会えなかったり、妻がもう帰らないと覚悟を決めると、離婚になってしまったり。「このお父さん、放っておいたら自殺してしまうのではないか」というくらいの追いつめられ方をしています。ぼくにできるのは、福島で聞いたことを、他の地域の人達に伝えることだと思っています。

子どものため、未来のための活動を続けよう

 原発に反対する市民運動は、福島の事故の前から、細々とでも続けている人たちがいたから、今なんとかなっているという部分があります。だから地道に、とにかく続けていくということが絶対に必要なんだよね。被爆の問題にしても、日本には低線量被爆の専門家がいなかったのですが、広島の原爆訴訟に関わった研究者など、これまでもある程度研究をしている人たちはいて、その人たちの研究内容が、今とても役に立っているのです。
 これから子どもたちが生きていく上で、放射能の被害がどういう風に出てくるかわからない。だから、起こる前に、それに対応するための準備をしておかないといけない。子どもを放射能から守る活動をしているお母さんたちをはじめ、さまざまな活動をしているみなさん、しんどいけど、がんばっていきましょう。

 

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リレーメッセージ「第17回 村上稔(元徳島市議会議員 第十堰住民投票の会事務局)」

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徳島での運動の詳細は、昨年村上さんが上梓した著書『希望を捨てない市民政治』(緑風出版)に分かりやすく記されています。この本は、哲学者の國分功一郎氏がAmazonの書評『来るべき民主主義』 (幻冬舎新書)で取り上げたこともあり、話題の一冊となりました。

また、当会や小平の住民投票運動に招かれ、軽快な口調で、また徹底的に市民の活動に寄り添う誠実さで、講演してくださいました。小平市内で行われた「どんぐりと民主主義 PART5」(中沢新一氏、國分功一郎氏との対談)は、住民投票が不成立になり落ち込みがちな参加者も多い中、まさに希望を与えるような内容でした。ぜひ、「どんぐりと民主主義」の動画もご覧ください。


村上稔


村上稔
1966年(昭和41年)徳島市生まれ、京都産業大学外国語学部卒。平成11年~23年 徳島市議会議員、平成12年 吉野川住民投票を実現(住民投票の会事務局)、現在 買い物弱者対策のソーシャルビジネスに従事。著書『希望を捨てない市民政治』(緑風出版)、共著『吉野川対談 市民派を超えて』(中村敦夫氏との対談)、編著『未来の川のほとりにて』(山と渓谷社)等 

フォーカシング・イリュージョン

ロボット工学者の前野隆司さんの書いた新刊「幸せのメカニズム」という本に、「フォーカシング・イリュージョン」という現象が説明されていました。

人間は、すぐに幸せの方向を間違ってしまうそうです。そこに幸せは無いのに、あるように思いこんで、必死に求めてしまうという現象が起こりやすいというのです。

年収1億円稼いでいる人が、必死になって2億円を求める。10億円の人は20億円…。

米調査会社ギャラップの、45万人を対象にした調査(2008~2009年)の結果、お金をたくさんもつと「満足度」は高まるそうですが、「幸福度」は年収7万5千ドル程度で横ばいになり、満足度と幸福度が乖離していくそうです。

しかし「満足イコール幸福である」と思い違いをして、より多くの収入だけに意識をフォーカスし、幸福を置き去りにして突き進んでいく現象だそうです。

「満足」というのは、欲望が満たされている、ということです。欲望は満たされても、ほんの2週間ほどもすると、またさらに大きくなるので、次の満足に向かって渇望がはじまります。ゴールの無い、不幸な餓鬼道です。

原発推進は、マッチョで強い人たちのイリュージョン

東大を出たキャリア官僚や、電力会社のエリート社員や、国会議員…。こういう人たちはマッチョで強い。

私は市会議員を長くしていたので分かりますが、自民党の国会議員などは強い。すごく鈍いけどその分、個体の生物としては強い。なので、こういう人たちはのし上がってきます。

強く、のし上がった人たちの、「経済成長」という巨大な「フォーカシング・イリュージョン」の一番先端にあるのが原発だと思うのです。その先に幸福がないのは明らかなので、彼らは間違っている。だけど彼らは鈍く強いので、周りを黙らせてでもイリュージョンを手放そうとしません。

市民の知恵と汗が吉野川可動堰を止めた

吉野川可動堰計画では、利権がマスコミにまで及んでいませんでしたので、私たちの運動は、マスコミが大きく取り上げてくれて、最終的に住民投票で民意を示し、ストップさせることができました。

ところが、原発に関する運動は、電力の利権がマスコミにまで浸透しているので、マスコミが報道せず、広報力に欠けます。マスコミにとって、小悪、中悪はメシのタネですが、巨悪は自らの根幹を揺るがすことになるので報道しません。

なので、もっともっと工夫が必要です。

私たちも、住民投票の投票率を高めるために、123とだけ書かれたプラカード(投票日1月23日)を持って立ったり、議会構成逆転のためのチラシを何十万枚も撒いたり、全戸戸別訪問をして住民投票請求の署名を集めたりしました。大勢の知恵を集め、膨大な汗を流して、10年以上の歳月をかけてようやく可動堰(ダム)計画を止めることができたのです。

吉野川のほとりに暮らす住民たちは、誰もが、川を堰き止められるのが嫌だった。大人も子どもも、良い人間も悪い人間も、吉野川が堰き止められるのは、なんか嫌だった。徳島市民は、可動堰(ダム)は嫌だ、という意見を表明したかったのですが、官僚出身の知事は勝手に「民意は計画推進だ」と決めつけていたのです。その矛盾が、10万人のウネリを作り出したのです。

「原発」国民投票のツボは、国民を信じ、自分たちを信じること

原発国民投票も、可能性はあると思います。それは、原発に意見を表明したい国民は、相当数いると思うからです。それを信じているからこその国民投票運動なのですが、その信念のみが、マスコミの非協力を突破できる、この国民投票運動の「ツボ」だと思います。

原発に意見を表明したい人がたくさんいる、と信じること。国民を信じることができるかどうかが、この運動の一番大切な「ツボ」だと思います。このツボだけをおさえて、スイミーの物語に出てくる小さな魚たちのように結集しましょう。

原発推進のマッチョな人たちは、数でいえば圧倒的に少数です。マスコミは電力会社や経団連各社が広告スポンサーではあっても、その元となる存在基盤は国民の購読や視聴です。

私たちはまだまだ知恵も汗も出し切っていないと思います。今は、拡げることだけを考えて、内にこもらないように(内にこもってきはじめたら運動は終わりです)、粘り強く続けていきましょう。

かつて徳島市民が「自治の熱狂」で感じた生命の喜びを、国民全体で感じてほしいです。原発国民投票で1票を入れる、感動の朝が訪れることを信じてがんばりましょう!

 

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リレーメッセージ「第16回 是枝裕和 (映画監督)」

第16回目を数える「賛同人リレーメッセージ」。今回は、映画監督の是枝裕和監督に、メッセージを寄せていただきました。


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是枝裕和 (映画監督)
1962年、東京生まれ。87年に早稲田大学卒業後、テレビマンユニオンに参加し、主にドキュメンタリー番組を演出。

95年、初監督した映画『幻の光』(主演:江角マキコ、浅野忠信、内藤剛志)が第52回ヴェネツィア国際映画祭で金のオゼッラ賞を受賞。04年、監督4作目の『誰も知らない』がカンヌ国際映画祭にて映画祭史上最年少の最優秀男優賞(柳楽優弥)を受賞。その他『歩いても 歩いても』『空気人形』『奇跡』など作品多数。

昨年、初の連続ドラマ『ゴーイング マイ ホーム』全話脚本・演出・編集を手掛ける。最新作『そして父になる』(主演 福山雅治)はカンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞した。

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福島の原発事故に全く収束の目処も
立たないこの状況で、原発の輸出を
再開するなどといった常軌を逸した
判断がなぜ可能なのか?
全く理解が出来ません。
地球に対して無責任極まりない暴挙です。


今回の震災と「福島」を教訓にして、
こどもたちにどんな未来を受け渡すのか?
真剣に考えましょう。


僕は、それが「原発に依存しない世界」で
あることを信じ、願っています。


                       映画監督 是枝裕和

 

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(再掲)リレーメッセージ「第10回 笹口孝明(元新潟県巻町 町長)前編」

9月7日に開催するシンポジウム「POWER TO THE PEOPLE ~住民投票のバトンをわたそう」にパネリストとして参加する笹口孝明さんのインタビューを再掲します。ぜひご一読の上、シンポジウムにご参加ください。



笹口孝明 プロフィール
1948年 新潟県西蒲原郡巻町生まれ。明治大学経営学部卒業後、笹祝酒造株式会社入社。
1994年10月「巻原発・住民投票を実行する会」の立ち上げと同時に代表に就任。
町長リコール署名運動を起こし請求代表人となった後、1996年1月新潟県・巻町長に就任。
1996年8月4日、日本初の住民投票「巻原発・住民投票」を実施した。
2004年巻町長二期目の任期満了により退任し、現在は笹祝酒造株式会社の社長。


記事中、笹口さんは「笹口」、遠藤さんは「遠藤」、大芝さんは「大芝」、今井一は「今井」、と表記しています。


今井:笹口さん、きょうは東京から2人の若者を引き連れてお邪魔しました。2人とも、うちの会の仲間なんですが、大芝くんはジャーナリスト志望で、10月に実施されたリトアニアでの「原発」国民投票の現場にも足を運んでいます。遠藤さんは、慶應義塾大学で地方自治を学んでいるのですが、彼女は巻町の出身です。2人とも笹口さんに会いたい、話を聞きたいというので、その願いを叶えたということです。どうか御了解ください。
 さて、私たちは「原発」を国民投票や住民投票にかけるための活動を進めているんですが、残念なことに、原発反対派の一定数の人がそれに強く反対しているんですよ。
 例えば、30年以上反原発活動をやっている東京都議が、「原発」都民投票条例制定に反対にまわったりもしています。かつての巻町ではあり得ない話です。


笹口:何で反対してるのですか?

今井:その理屈は、絶対に勝てるんならいいけれど、負ける可能性があるから、やらないほうがいいというもの。私たちの会の賛同人で、「原発」都民投票の請求代表人を務めていた俳優の山本太郎さんまでもが、今は負ける可能性が高いと思うから反対と言って、賛同人を降りちゃったんですね。彼は、最初は、勝ち負けじゃない、勝ち負けと関係なく市民自治のためにやるべきだって言っていたのに…。今回の知事選で宇都宮健児さんがなぜ「都民投票条例の知事提案」を約束できなかったかというと、それはそういう人たちに気兼ねしたからです。きっと。

笹口:なるほど。

今井:で、私はまずそのことを笹口さんに伺いたいのですが、1996年8月4日に、日本で最初に住民投票を執行された、しかもテーマは「原発」。そして告示の日に出された「巻町民へのメッセージ」は非常にフェアだったと思うんですよね。条例に記されている「町長は住民投票の結果を尊重する」とはどういうことなのか、と。賛成多数なら建設の方向に向かい、反対多数であれば原発建設は認めず町有地を売却しないと、メッセージに明記された。どっちになっても、私はそれを尊重する。反対多数だったら呑むけれども、賛成多数だったら無視するなんて書いてないですよね。そのことをなかなかわかってもらえないんですよ。負ける可能性があったら、国民投票や住民投票を仕掛けたらダメとか求めたらダメという人がけっこういるんです。それについて、笹口さんどうお考えですか。

巻町民へのメッセージ

巻町民へのメッセージ
(クリックすると拡大します。必読!)


笹口:原発ができるかできないかというのがきわめて大事だからこそ、原発がテーマになって、住民投票するかしないか、主権者である国民がそれをジャッジするしないということがテーマになっているわけだけれども、その大事の前に、まず民主主義っていうのはなんなのか、主権在民とはなんなのかっていうのが一番大事。別な意味ですごく大事ですね。
 原発のことについては、国民一人ひとりが原発が必要だと思ったり、あるいは原発は危険だからいらない、ただちにやめるべきだとか何年後にやめるべきだとか、色々なそういう国民一人ひとりの選択があると思うけれども、まずその国民が原発のことをよく勉強して、理解していること。そして、自分のこととして問題意識を持っているかいないか。それがまず根底にあって、そして一人ひとりが熟慮をできる環境にあること。みんなが熟慮するためには、情報が提供され、それをみんながつかんでなけりゃいけない。
 だから、仮に今から3年くらい前に原発問題を国民投票にかけましょうといっても、3年前だったら私は無理だったと思う。というのは、国民が原発問題を本当に真剣に自分のこととして考える姿勢があったかどうかということが問題だし、情報がよく提示されていたかどうかということも問題です。そして考える時間があったかないか。そのどれをとってみても今から3年前だったらいわゆる国民投票のテーマとして提起はできるけれども、ただちに投票というのは難しい。いろんなことを…


今井:条件が整っていないと。

笹口:熟慮することが必要だし、賛成論・反対論が意見を交わしてそれをまた国民が見たり聞いたりということが必要だったと思うけれども、今、福島のこのすごい事故が起こったことを受け、原発のこと、放射能のことをみなさん自分のこととして十分考えている。国民一人ひとりが。全部じゃないにしても、かなりの情報が流れているし、その情報をみて、勉強している。しかも一年半もあの事件から経っていて、原発の再稼働を進めようとしているとか、またさらにいろいろなことが起きている。それを見ながら、事故が起こったときには「原発」反対とばかり言っていたが、実際に経済的な問題とか、産業的な立ち遅れがどうだとか、原発なしに次のエネルギーはあるのかとか、自然エネルギーが育たないじゃないかとか、いろんな推進派の逆襲もあった。

今井:まさに逆襲ですね。

笹口:だからね、鳴りを潜めていた人も、「原発」なしで本当に大丈夫なのかと新たなディスカッションが始まりつつある。

今井:賛否両方が土俵に上がってきたと。

笹口:そうそう。そういう、賛否両論が成立するような状況にまでなってきた。こういうときこそ、原発について、国民的な立場で、一人ひとりがある程度自分なりの考えが熟成されつつある。いやもう、されているかもしれない。
 こういう状況ではね、私は県民投票でも国民投票でも、その地域にとってのテーマとしても、あるいは国民的なテーマとしても、十分提起されてもいい状況になっていると思います。


今井:なるほど。状況は3年前とは格段に違いますよね。それはもう誰もが認めざるを得ない。普通にね、魚屋のおっちゃんや、乾物屋のおばちゃんが原発について客と普通に語り合うような時代になりました。前はあり得なかったですから。この町でも、ガンガン話してたのは、桑原正史さんや高島民雄さん、佐藤勇蔵さんら数人でしたからね(笑)。でも、今は違う。
 で、さっきの話に戻るんですが、それはわかっていると。わかっているけれども、メディアはいい加減だし、日本人は情報に流されやすいから、やったら負ける。だから国民投票や住民投票をやることを許さない。という人が多いんですよ、反原発派の中にもね。
 彼らが主権者の決定権を阻んではいけない、一人ひとりの権利なんですよ。原発推進を選ぼうが、反対を選ぼうが。その選ぶ権利までを奪っちゃだめ。
 だから自分の思う通りの結果にならないかもしれないから、都民投票はやらせないとか国民投票をやらせない。あるいは「原発推進」の自民党が大勝しそうだから選挙はやらせないというのはだめでしょう。その時点でどこが有利であろうが、衆議院も自治体選挙も必ず4年以内に選挙をしなくちゃいけない。笹口さん、そのあたり、最初に住民投票を執行された元首長としてどうですか。


巻原発・住民投票を実行する会の会合風景

巻原発・住民投票を実行する会の会合風景


笹口:私がさっき言ったように、国民、都民、あるいは県民が十分もう論議もできて熟慮を重ねて、県民投票なら県民一人ひとりが意思決定できるような状況にもうほぼあると思う。現在、一人ひとりがジャッジできる状況にあるわけだから、あとはそれがどういう結果が出るかということについて、自分の思った通りの結論が出なきゃ嫌だなんていうのは、一つのエゴだと思いますね。
 国民、県民は「原発」をどうするのかを選び、決める権利があるし、まさにジャッジする立場にある。現在は間接民主制が定着していますが、生命・健康・財産等に関係するきわめて重大な決定事項に関しては、やはり主権者である国民、住民に直接考えを聞く必要があります。単一テーマについて国民、住民に問いかけたときに、主権者である国民や住民が直接結論を出したなら、何がなんでも尊重しなきゃいけない。単なるアンケートじゃないし、ムードでもなく、「どっちが好き?」ってやったわけじゃないんだから。


今井:熟慮している。

笹口:そう。熟慮して、この問題についてよくあなたたちは勉強してるから判断できるでしょ、だからやりますから。あなたたちは主権者として、私たちみたいな少数の政治家の考えじゃなくて、主権者自ら判断してもらったその結論に従いますから、どうか判断してくださいというのが国民投票であり県民投票なんだから、やる前にどの結論だったら尊重するし、どの結論だったら尊重しないなんてのはあり得ない話ですよ。

今井:ということは、笹口さんがもし8月4日に町有地を東北電力に売却してもいいという結論が出たら、当然その結果に従っていたわけですね。

笹口:はい、もちろんです。私は住民投票の執行者としてまったく中立で、公正な立場にありました。それで、もし仮に私が投票の結果を町長として執行するにあたって、示された投票結果が個人としての自分の本意じゃないとしたなら、私はやっぱり辞任すべきですよ。こういう町民が、こういう結論を出して選んだ以上、こういうふうに進むべきである。しかし私は心の中では、それと違うことを信念として実はもっていたから、私は投票結果の執行者としては適任じゃありませんと、辞任すべきですよ。町民の選んだことを信念として執行できる、町長をまた選んでもらえばいい、と思うんですよ。

今井:なるほど。そういう覚悟だったんですね。
さて、若い2人何か伺いたいことがあれば。


遠藤:私は巻町で生まれて巻町で育ちました。今は慶應大学の法学部で、市民自治について学んでいます。住民投票が行なわれた時は5歳で、これまで詳しく知らなかったんですが、大学に入ってからそれが歴史的な出来事だったことを知り、とても誇らしく思っています。と同時に、巻で起こったこと、巻町民がやったことを、もっともっと全国の人に知ってほしいという思いがあります。
 それで、さっき話題になった笹口さんの「巻町民へのメッセージ」ですが、私もあれを読んですごく感銘を受けたのですが、この最後の一行に「巻町の将来は、巻町民みんなで決めてください」っていう言葉がありますよね。そうやって町の将来の選択について、巻町民の判断を信じることができたのはどうしてですか。


笹口さん

笹口さんを挟んで、遠藤結花さんと大芝健太郎さん
(笹口さんが経営する「笹祝酒造」にて)

笹口:その住民投票の前の状況として、巻町民は27年間の長きに渡り原発について、苦しみ悩んできて、声に出せたか出せなかったかは別としても、一人ひとりが思いをもっていたから、だから責任をもって一票を投じられたわけですね。当時買収とか、なんとかツアーとかいうのがあったとしても、それはほんの一部の話であって、そんなお金で買収されるような性格の投票じゃありませんでした。自分の将来、自分の子どもたちの未来がかかってるんですから。一人ひとりが責任をもって投票するっていうのは明らかでした。

今井:目先のことじゃないんですよね。

笹口:記者会見の時だったか、誰かが、私に買収とかなんとかで愚かな結果が出たらどうするんですかっていう質問をしてきたから、私はそんなことはないと。ないけれども、仮にあなたが心配するようなことがあったとしたら、巻町民はその程度でしかなかったということなんですよ、と答えました。

今井:そして、その程度じゃない町民だったっていうことがわかったんですね。

笹口:そうです。だから逆に言うと、その程度の町民じゃないから、私は、巻の将来は巻町民みんなで決めてくださいと言ったわけだし、将来を決めるに足る町民だったわけですよ。

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リレーメッセージ「第15回 孫崎享(元外交官、評論家)」

当会の賛同人で、外交問題を始めとした政治課題に鋭い視点を提供し続けている孫崎 享さんが、メッセージを寄せてくださいました。


孫崎享


孫崎享(元外交官、評論家)
1966年、外務省入省。駐ウズベキスタン大使、国際情報局長、駐イラン大使をへて、2009年まで防衛大学校教授。著書に『戦後史の正体』(創元社)、『日本の「情報と外交」』(PHP新書)など。Twitterアカウント( @magosaki_ukeru )のフォロワーは6万人を超える。

 今日、原発の最大の問題は福島原発事故の究明が全く行われていない段階にもかかわらず、政府自民党が原発の再稼働にむけて着々と準備を行っていることにある。

 5月26日共同通信は次のとおり報じた。
「安倍政権が成長戦略に盛り込むエネルギー政策の原案が25日判明した。原子力規制委員会が安全と認めた原発は『再稼働を進める』と明記し、立地自治体などの理解を得るため『政府一丸となって最大限取り組む』との姿勢を強調した。早期再稼働を求める経済界や立地自治体などに配慮したとみられる。」

 何故、こんなことが許されるのか。

 平成25年4月24日付村田光平元スイス大使は経団連会長宛書簡にて次のように記述している。
「4月19日、東電に照会したところ、1号機、2号機及び3号機の最高線量は、1号機は800ミリシーベルト、2号機は880ミリシーベルト、3号機は1510シーベルトです。専門家によれば10ミリシーベルトのところに1時間いると致死量に達するとのことですので、決死隊も作業ができないのは2号機のみならず、1号機も3号機も同様であることが判明いたしました。
最悪の事態が発生すれば打つ手のないこのような福島第一の現状は国家的危機です。東電によれば福島第一からは毎時1000万ベクレルの放射線量の放出が今なお続いております」

 崩壊した福島第一原発一号機の現場を、東電以外の人が現場検証しているか。事故が津波だけに起因するか、地震にも起因するか、それを検証し対応しているか。していない。 学者など誰も足を踏み入れていない。なぜか。現場視察があまりにも危険すぎる。この現場を実地検証した東電以外の唯一の人物が川内博史前民主党議員である。そして、地震で故障した可能性があるとの情報を手に入れたが、日本の主要報道機関はどこも報道していない。

 2005年2月23日、石橋克彦神戸大学教授は、衆議院予算委員会公聴会で「迫り来る大地震活動期は未曾有の国難である」という論を展開した。
「アメリカでは地震現象というのは、地震というのは原子力発電所にとって一番恐ろしい外的要因であるというふうに考えられております。地震の場合は複数の要因の故障といって、いろんなところが振動でやられるわけですから、それらが複合して、多重防護システムが働かなくなり、最悪の場合にはいわゆるシビアアクシデント、過酷事故という炉心溶融とか核暴走とかいうことにつながりかねない訳であります。」

 こうした重大な論点に全く答えることなく、「早期再稼働を求める経済界や立地自治体などに配慮」し原発再稼働をめざすのが、今日の政府と自民党の立場である。

 日本は今、極めて深刻な選択の中にある。それは今日明日だけではなく、何十年先の世代にも影響を与える選択である。何よりも事実を把握する必要がある。国民にとり最も重要なことは、原発の深刻さを知り、再稼働をとめる人々を国会に送ることである。

 

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リレーメッセージ「第14回 村西俊雄(元滋賀県米原町長)後編」

リレーメッセージ「第14回 村西俊雄(元滋賀県米原町 町長)後編]


記事中、村西さんは「村西」、水野は「水野」、と表記しています。


「納得する、これが住民投票の一番いいところなんです」

水野:米原町の住民投票は、その前に前例が1件(上尾市)あったものの、自治体合併をめぐる最初期の住民投票でした。

村西:そうですね。

水野:村西さんはこの住民投票で、ご自身を本部長とする「住民投票実施本部」を作られました。これを中心にして、例えば合併先候補の市や町を招いて「自分のところと合併すればこんないいことがある」といったプレゼンを住民の前でしてもらう説明会を企画したり、あるいはそれぞれの合併候補別にメリット・デメリットを一覧する『住民投票ニュース』を週に1度作って配布したり、ほぼ前例がない中で、住民への情報提供の仕掛けをたくさん考案されました。

村西俊雄さん

村西俊雄さん

村西:合併問題は、住民も何となく感覚的にはわかるけれど、あの住民投票では合併先の選択肢は3つもあったので、どれがいいのかと聞かれても判断がつかないじゃないかと(注:この住民投票では合併の枠組みが問われた。選択肢は「坂田郡4町」「湖東1市4町」「湖北1市12町」「合併しない」)。親戚がそこにいるからだとか、子供がそこの学校に通ってるからだとか。(笑) 本当は合併のパターンによって税金も多少は違うし、医療や福祉の制度とかも違うんですよと。自分の町はこうだけども、こんなことをやってる町もあるのかという違いも知りながら、合併をするとこういう形が見えてくるというのを色々な資料にして、すべての集落でフォーラムをやって説明しました。あの住民投票には「合併しない」という選択肢もありましたから、3つの合併パターンと合わせて、四者択一だったんです。常識から考えてとんでもないことですよね。あの時にやった住民投票のいいところは、住民投票に関する法的な整備がなされていないから、何でも自由にルールを決めることができた点です。もちろん買収したりはダメですけれど、それ以外は好きなようにやってもいいと。

水野:公職選挙法ではないから。

村西:そうそう。公選法は関係がないから。だから投票場所も住民投票運動も本来自由なんだといういいところがあって。だから町が持っている情報は住民共有の財産として住民の皆さんにすべて開示して、そして判断してもらうと。こういうことは一番大事なことで、積極的にわかりやすいものをいっぱい作ってバラ撒きましたよ。(笑)

水野:この条例には投票率50%以上という成立要件がありましたね。

投票率を上げ住民投票を成立させるべく、町長も率先して投票を呼びかけた。

投票率を上げ住民投票を成立させるべく、町長も率先して投票を呼びかけた。

村西:そう。よくマスコミにも成立要件を確保できるのかと質問されました。投票率が50%を下回ったらどうするんだ。投票箱を開けるのかと聞かれました。開けませんと答えましたけども。お金も使うのに、成立もしない住民投票を提案した者としての責任はどうなんだとか、いろいろ言われました。(笑) だから何としてでも50%以上の投票率を確保しなくては、というのがもの凄く責任感としてありました。
とにかくみなさん投票に行ってくださいよ。そうでなかったらみなさんで決められませんよという呼びかけをして。これ、僕が一生懸命、車で呼び掛けているところです(写真を示しながら)。(笑) とにかくぜひ行ってくださいよと。こればっかり言ってまわってました。そしたら住民の皆さんは「行きますよ!」って言ってくれました。それでそこそこの投票率になりました(69.60%)。今の選挙よりよっぽど高いです。(笑)

水野:そこで住民の方が「行きますよ!」と言ってくれている時に、「ところで町長はどう思ってます?」と聞かれはしませんでしたか?

村西:住民投票運動の期間中には言いませんでした。ただ、公示の前に少しだけ言ったかなあ。いろんなことがあるけれども、私なら……と。ただこれを「皆さんお願いします」ということは絶対に言わなかった。町長はどうもこの意見だということを知っている人も多かったと思いますけども。
それぞれの合併パターンを支持している議員がいて、それぞれ支持する合併パターンのいいところを主張してくれたんです。これ、大歓迎だったんです。私自身、自分の意見にこだわっていなかったから。あなた方も自分が思う合併パターンのいいところをみんなに伝えてよと。そういう運動の展開を積極的にやってもらって。『住民投票ニュース』という広報をたくさん出して、合併パターンのいいところと悪いところを正直に書きました。そこで議員にも主張してもらいました。
とにかく広報の内容は、いろんな資料を駆使して出していったということです。これだったら財政支援がどのくらい受けられますとか、4パターンの比較……高齢化率がどのくらい進んでいる町なのかとか財政力がどうなのかとか、経常収支率……借金がどうなっているかとか、このまちづくりならどういうことが期待できるかとか。一方、心配な点はどういうことがあるかとか、合併パターンごとに全部表にして、フォーラムでもパワーポイントで説明していました。それで意見交換をして、皆さんどう思いますか?というようなことをやったりして。これをやり出したら、結構面白かったですよ。(笑) これはやみつきになるな、と言いながらやってました。(笑)

水野:面白かった。(笑)

村西:別に1つの意見にこだわって悲壮感を持ってやってるわけじゃないですから。皆さんが決めてくれた通りやるんだから、こっちは。これ、考え方によっては楽なんです。(笑)

水野:なるほど。もし村西さんに下心があって、この選択肢に誘導したいとかそういう考えを持っていたら大変だけども。

村西:そうそう。勝ち負けなんてないんだから。あえて言えば皆さんの選んだものが勝ちなんだから。これでね、びっくりしたのは、2~3件電話をもらったんですが、こんな、町が二分三分するような大議論をしたら町がバラバラになるじゃないかと。そんな影響を考えてるのかと言われたんです。

水野:確かにそういう心配をする人はいるでしょうね。

村西:そうでしょう。選挙なんかだとしこりを残したりしますよね。ところがこの住民投票をやって、合併パターンが1つに決まったでしょう。決まったパターンに反対していた人や、違うパターンを支持していた人もたくさんいます。むしろわざとそういうふうに持っていったんですから。議論をするようにね。ところが、住民投票で実際に1つに決まったら「私はこれとは違う合併パターンを支持してたけど、町長、みんなで決めたこのパターンで是非がんばってくれ」と激励の電話がかかってきたんです。

水野:ほう。

村西:決まったものとは別のパターンを選んだ人が、「これは住民がみんなで選んだパターンだから、頑張ってやってくれ」と。嬉しかったですね。これが住民投票の一番いいところなんです。納得するわけです、住民が。もう自分たちが決めたものだから、決まった以上これで一生懸命まちづくりをしようと。こういうふうになる。勝ち負けじゃないんです、選挙のような。

水野:ひょっとしてしこりを残すとすれば、逆に町が勝手に決めちゃった場合かもしれないですね。オレはあちらの合併先の方がよかったのに勝手に決めやがってと。

村西:そうそう。やってなかったらそうなる。むしろとことん、それが出てくる。それで住民投票の結果、坂田郡4町という合併枠組みパターンでやろうと決まったんです。

水野:みんな、住民投票をすることで納得してしこりは残らなかった。

村西:誰も文句を言ってきませんでした。議員はもちろん住民も。あんなことをしてという声は全部消えてしまいました。みんなで決めたことですから自信を持ってやってくださいという声ばかりでした。これは凄いと思いました。議会もすぐにそう言いました。別にケンカをさせたわけじゃないですからね。みなさん主張してくださいと言ってやってもらって、なら出た結果には従うという雰囲気はできていましたから。選挙はその点、全然違いますね。残りますね。次もありますし。むしろ住民投票をやらなかったらいつまで経っても決まらなかったと思います。

水野:では最後に、もしこの住民投票に反省点があるとしたら、どうでしょう?

村西:反省点ね。うーん。これは住民投票一般というより、この合併についての住民投票の話だけども、合併問題というのは相手のあることです。この時、「坂田郡4町」という枠組みパターンが選ばれたんですが、そこに入っていた近江町がこの枠組みに乗ってこなかったんです(注:近江町は一度この枠組みから離脱し、米原町は坂田郡3町で合併し米原市となった。その後米原市が近江町を編入する)。そこが1つの限界というのか……。まあ他の町にしてみれば独りよがりにも見えますよね。お前はそうかもしれないけど、こちらはそんなこと考えてないなんて言われたら二進も三進もいきません。だからこの時は法定ではなく任意でもいいから合併協議会が存在すること、というのを住民投票の選択肢に入れる条件にしたんです。だから彦根市(湖東1市4町)も長浜市(湖北1市12町)も合併協議会を作ってくれました。ですから同時に3つの合併協に入っていたんです。

水野:どの選択肢を選んでも実現の可能性がちゃんとあるということですね。

村西:そう。それぞれ議論のテーブルができたわけです。そしてそれぞれうちと合併しようと言ってくれる中、住民の意思を聞くのでちょっと待ってくださいとやったんですね。他の町にしてみれば横柄にも見えたでしょうが、そうでないとこちらは選択肢が多いので勝手に決められない。そういうことまでしましたが、それでも近江町は抜けたわけです。それで1年半ほど無駄にした時期がありましたね。ただこれは、この住民投票のテーマが合併問題だったからというだけのことで、一般的な、システムとしての住民投票の問題点というのは……そんなに感じませんでしたね。むしろこれほど面白いものはないなと思いました。要するに、どんなことをしても法的な制限がありませんから、みんなと一緒にやりやすいやり方を考えていける。だから投票所も選挙の時の場所にこだわらず、字ごとにそれぞれ投票箱を置きました。そこに区長にでも来てもらって、町も人を出さないというわけにはいかないけれど、選挙の時のように立会人をつけたりといった難しいことはしないでおこうということで(笑)、費用もできるだけ安くする方法を考えました。不在者投票所も増やして、不在者投票の理由も、別になくていいと。

水野:なるほど。ルールを自由に決められるから。

村西:そうそう。ですからこの後も国で住民投票を法制化しようという話も出ましたけれど、一度住民投票をやった者からすれば、そんなものはない方がいいと思いました。ルールを1つに決めてもらったら余計に困ると。

水野:地域ごとに、住民投票ごとに自分たちでルールも決めると。

村西:そうそう。今なら地方自治法にも何にも違反しないんですしね。だからこのやり方でよかった。住民もそう思ってくたんですから。

(おわり/前編はこちら

村西俊雄プロフィール

1941[昭和16]年生まれ。
商社勤務、国家公務員を経て滋賀県職員に。約37年の勤務で土木部次長、人事委員会事務局長、県立大学事務局長を歴任し旧米原町へ。6ヶ月を助役勤めた後、同町の町長となる。
米原町長時代、周辺自治体との合併をテーマとしたものとしては全国で2番目となる住民投票を実施。日本で初めて外国人に投票権を与えた住民投票となる。
現在、愛荘町長。
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リレーメッセージ「第13回 村西俊雄(元滋賀県米原町長)前編」

リレーメッセージ「第13回 村西俊雄(元滋賀県米原町 町長)前編]


東日本大震災の原発事故以降、それまではあまり大きく意識されてこなかったエネルギー問題が、実は国にとって非常に大きな問題であったことに多くの国民が気づきました。
この、「原発」という重要事項を一部の人間だけではなく国民みんなで決めようというのが私たち〈みんなで決めよう「原発」国民投票〉が主張していることです。
「みんなで決める」という意味で、自治体単位での「国民投票」にあたるのが住民投票です。
日本では現在、すでに400件以上の住民投票が行われています(住民投票条例に基づいて行われたものです。リコールなどは含みません)。
そのほとんどは先の「平成の大合併」で行われた、合併をテーマにした住民投票です。
今回と次回は、自治体合併をテーマにしたものとしては日本で2番目、永住外国人に投票権を与えたものとしては日本で初めての住民投票を執行した旧米原町の元町長・村西俊雄さんにお話をうかがいました。村西さんは〈みんなで決めよう「原発」国民投票〉の賛同人でもあります。


記事中、村西さんは「村西」、水野は「水野」、と表記しています。


「よそ者が、こんなに大きな問題をちょいちょいと決めていいはずがない」

水野:村西さんは米原町長時代、自治体にとって非常に重大な問題である合併問題について住民投票を実施されました(2002[平成14]年3月31日)。住民投票自体はそれ以前に新潟県巻町などですでに行われていましたが、自治体合併をテーマにした住民投票は埼玉県上尾市(2001[平成13]年7月29日)に次いでわずか2例目となります。

村西:そうですね。

水野:まずそのお話からお伺いしたいのですが、あの時、当初は自治体合併の問題というピンポイントの住民投票ではなく、テーマを特定しない、いわゆる「常設型」の住民投票条例として条例案を出されました。この条例案は議会で否決されることになりますが、これはやはり自治体合併というテーマでの住民投票を念頭に置いたものだったんですか?

村西俊雄さん

村西俊雄さん

村西:あの時は合併問題という、住民にとって大きな行政の問題が出てきましたからね。それを住民投票でというのはまず頭にあったんですが、その前に経過があるんです。私はあの町(米原町)の町長をさせてもらったんですけど、本当はあの町の出身ではないから、町の民意をどうやって吸い上げるかということが非常に大事な問題だと思っていました。

水野:あ、村西さんは米原町のご出身ではなかったんですか。米原町の町長になられる前は、町の助役だったんですよね。

村西:僕はもともと県の職員だったんです。定年の1年前に、もう辞めようと決めていました。絵が好きなので車で日本中をスケッチ旅行に行きたいなあと思っていまして。業者に頼んでいたキャンピングカーの改造も上がってきて、さあもう辞めようと思っていた時に、2月頃だったか、知事、副知事から米原町に行ってほしいんだと言われたんです。私は米原町の生まれではありませんし、何にも知らないのに勘弁してくださいとずいぶん抵抗したんですが、しかし行ってもらわなくては困る、県の顔に泥を塗られては困ると、半分脅かされるような形で。(笑) それで米原町に行ったんです。助役を半年やって、そこから推されて町長になったんです。

水野:なるほど。合併問題を考えるにあたって、初めから頭の中には住民投票という選択肢があったとおっしゃいました。これはなぜだったんでしょう? 住民投票自体がまだ珍しい時代でしたよね。

村西:私は米原町の出身者じゃないので、住民からすれば、言ってみればよそ者です。私自身もよそ者だという自覚はありましたし。当時、まだ米原町に来て1年ほどでした。住民も地域も知らないよそ者が、こんなに大きな問題を、将来の住民やその子孫の暮らしにも影響を与える大きな問題を、議会と町だけでちょいちょいと決めていいはずがない。そこで住民の意思を確かめる方法として、絶対に住民投票だと思いました。当時、日本のあちこちで大きな問題について住民投票の請求運動が起き始めていた時代だったでしょう。原発問題もさることながら産廃問題や可動堰の問題、空港の問題などあちこちで出てきた時です。多くは否決され実現しませんでしたが。その動きを見ていましたから、そういう方法(住民投票)があるじゃないかというのは頭にあったんです。

水野:条例を作れば住民投票がやれると。

村西:そうです。それでね、やはりよそ者ですから、町のことを勉強するわけです。そこで米原町の歴史を調べていたところ、凄い歴史があったんです。米原駅から彦根寄りの場所に、鳥居本(とりいもと)という地域があります。ここは今は彦根市ですが、もともとは米原町と同じ坂田郡だったんです。場所の単位でいえば「鳥居本学区」ですね。そこがこちらを離脱して彦根市と合併するかしないかで大問題になったそうです。その時に、鳥居本の人たちだけで合併の是非を問う住民投票をやってるんですよ。それで昭和27年(1952)に鳥居本は坂田郡を抜けて彦根市と合併した。そういう歴史が、町史を読むと出てきました。また、昭和40年頃の高度経済成長期の合併ブームの時に一度、米原町は彦根市と合併することを議会が決めたことがあるんです。

水野:え?

村西:決定したんです議会で。合併すると。そしたら住民から大きな異論が出てきて、区長会が緊急区長会を開いて町長と議長に対して辞任要求を出しました。こんな大事なことを住民の意見も聞かずに決めたとはけしからんということで。区長会というのはつまり、地域の意見ですよね。直ちに町長は辞職、議会は解散せよという、その証書を町長室で発見したんですよ。(笑) 町長室にはいろいろ重要書類が置かれてますから、その中から。こんなものがあるじゃないかと驚きました。一度決定しておきながら住民不在の決定をしたと住民から猛反対されて。で、結局、議会はやっぱりやめましたと。(笑)

水野:合併はやめさせてもらいますとなったんですか。

村西:そう。(笑) こんな歴史があって、合併問題というのはいかに住民の声を聞いてやらなくてはいけないかということはこれを見ただけでもわかるし、町と議会とだけで決めるものではないということは、その時に私も自覚しました。だからこの合併の話が出た時は、やっぱり住民の意見を十分に聞いて、慎重にやらないといけない。そして議論を盛り上げていくと。ということで、これは住民投票にふさわしいなという考えが頭にはあったんです。当時、合併について、各地域でいろいろなフォーラムをやっていました。そのある回に、まさにうまくというか、住民の方から「町長、こういう問題は住民投票をやったらどうやな」という意見が出てきたんです。

水野:ほう。

村西俊雄さん02

この写真は村西さんのブログに使われているプロフィール写真です。絵が好きでユーモアあふれる村西さんらしいフェルメールのパロディで、水野がお願いして掲載させていただきました。

村西:そこで私はそれにパッと乗れたんです。「そうですよね!」という感じで。頭の中にあったものをこちらから言い出すのではなく住民から言い出してくれた。それはもう、助け船みたいなものでしたよ。(笑) 私にしてもこれは「待ってました」という感じではあったんですが、住民投票で決めるという話が住民から出てきたことに、私は非常に感動しました。だからぜひ住民投票でやりたいなと。ぜひこれでやろうと思いました。

水野:なるほど。じゃあその声が住民から出てきた瞬間に、1つの完成ですよね。その瞬間に道筋がすっと見えた。

村西:そういうことですね。それでそれから後のフォーラムでは、「住民からこういう(住民投票でという)声が出ています。私はこれも1つの方法かなと思っています」と言ってみました。するとそうしたらいいという声がまただんだん出てきた。これはいける!という感じでした。(笑) これしかないと。

水野:議会の方はどうですか?

村西:議会の方も徐々にそういう雰囲気になってきましたね。

水野:それで最初の「常設型」住民投票条例案の提案になるわけですね。

村西:そう。それで私はやっぱり、合併問題自体は確かにこの町の喫緊の問題としてあるけれども、それならこれから民主主義を深めていき、みんなでまちづくりをしていくのにはむしろ常設型で、大事な問題については今後も住民投票ができるような形にしておいて、その第1号を合併問題でやればいいと思いました。当時はすでに愛知県高浜市が常設型住民投票条例を作られていました(2001[平成13]年4月施行)ので、議員と一緒に高浜市に勉強会に行きました。そして市長の熱っぽい話を聞いてまた「これや!」と奮い立って、それで議会に提案したのが2001[平成13]年の12月議会です。ただこれは結局否決されました。しかしただ否決されたのではなく、そこで大事な議論が残ったんです。1つは、こういう制度は時期尚早だと。喫緊の大きな問題として合併問題があるんだからテーマを絞ってそのつど条例を作ってやるという方法があるじゃないかと、議会が言い出したんです。

水野:「常設型」はダメだけど、合併という単発テーマならやりましょうと。

村西:そう。「常設型」については「まだそこまでは」という感じで否決されたんだけども、それでもその時の議論はまったく無駄ではなかった。その次に出した、合併にテーマを絞った住民投票条例案の議論にそのまま活かせる議論でした。その時は今井さん(ジャーナリスト)にも事前に勉強会に来てもらいましたね。そしてもう1つの大事な議論が、外国人投票権です。

水野:この住民投票の大きな特徴ですよね。米原町の住民投票は、永住外国人に投票権を与えた日本で初めての住民投票でした。

村西:これも社会的に大きな関心を呼びました。

水野:これはどういった経緯で。

村西:これもあちこちで、時代の流れとして動き出していたんです。これからのまちづくり、しかも日本にはどんどん外国人が入ってきている、そういう社会になってきた。私は県の職員時代、まさにそういう問題を扱っていたんです(注:96~98年、県人事委員会事務局長時代)。当時、公務員の要件として国籍条項が大きな問題になったんです。当時は地方公務員法上いろいろ制約があって、外国人は公務員になれなかったんですよ。それが、こういうグローバル社会になって技術革新の時代になってそんなことを言ってたら日本は遅れてしまうから、技術的な部分や語学などに関しては外国人でもいいじゃないかというふうに徐々になってきたけど、一般公務員、要するに権限を持っている、許認可をやる、住民の行動を制約する権利を持っている職には就かせないというのがあった。しかしこれも徐々に変わってきてたんですよ。これからはやっぱり外国人の制限をなくす、外国人でも地方公務員になれる……今は滋賀県はほとんど国籍条項を外しましたから誰でもなれるんですけども。そういうことも頭にありました。これから地域社会を形作るのは日本人だけじゃないだろうと。

水野:なるほど。

村西:それでね、投票権の年齢については僕は公選法が頭にあったけど、もうちょっと若くしてもいいじゃないかという議論もあったし、投票権者に外国人を入れることについては、これはもう今の時代いいじゃないかということになりました。最終的には公選法の選挙人名簿はそのまま使いたいし、外国人の名簿は新しく作らないといけないけれど数が少ないのでそれほど手間はかからないということで、年齢は公選法と同じ20歳にして、それに外国人は入れようということにして、常設型住民投票条例として提案したんです。
議会での議論の中でも、あの町は人権問題への理解が高い土地だったので、外国人差別はおかしいという観点から永住外国人の投票権については問題ないというのが大方の議員の意見だったんです。

水野:ほう、議会の中では外国人投票権問題についてはあまり異論がなかった?

村西:そうそう。これについてはあまり異論がなかった。「常設型」の条例に猛反対していた人でも、外国人投票権問題については「人権上、わしは賛成や」という意見を言う人もいましたし、これはいけるなと思ったんです。それで、「常設型」条例案の方は時期尚早ということで正式に否決されはしたんですが、そこから出直す方法としては、年が明けたら自治体合併のみをテーマにした住民投票条例案を出そうと。これならいけると読んだので、当時私の部下だった平尾君(平尾道雄氏/現米原市長)に合併問題の担当を命じてやらせたんです。彼はものすごくノリのいい男で、「それ、やりましょう!」と言ってくれて、条例案までみんなやってくれました。新しいものをどんどん改革的に取り入れる人物でもあったし、後に山東町・伊吹町・米原町合併協議会の事務局長をやることになります。私は年末年始の休みを返上して毎日議員のところに働きかけたりしてました。年が明けて常設型の条例案を一部修正して単独テーマに変えて、外国人投票権についてはそのままにして。これを平成14(2002)年1月に臨時会を開いて提案しました。
するとこれは、むしろマスコミはそっちの方へ……日本で初めて外国人の投票権を認めるという、1つの参政権ですよね。これが大きなニュースになりました。しかしそんな条例案、通るはずがないとマスコミはみんな思ってた。(笑)

水野:ああ、マスコミは議会の状況とか知らないし。

村西:そうそう。それが委員会で可決されて。そうするとにわかに全国からテレビ局もいっぱい来ました。それで本会議で見事に通ったんですよ。合併をテーマにした住民投票は上尾市(埼玉県)に続いて全国で2件目だったんです。上尾市は住民からの直接請求で住民投票条例が設置されたんですが、米原町は首長提案。上尾市は確か市長は住民投票に大反対だったんです。合併を推進したくて、住民投票条例に反対の意見書をつけて議会に提案したんですが、可決されて。だから住民投票を「やらされた」んです、どちらかというと。それが合併問題での住民投票の第1号。(笑)
なので米原町の住民投票は、合併問題では2番目。外国人投票権については1番目ということで、外国人投票権の方がマスコミでは一大センセーションになりました。新聞の一面に載ったくらい。町の人は何も言わないんですが、町外から「売国奴」などと100通くらいのメールが来ました。脅迫もありましたので警察にも通報して警戒してもらいました。東京の右翼から電話がかかってきて、「お前の町グチャグチャにしてやるからな」とかね。だから職員たちは少し心配してたし、「石の1つくらいは役場に飛んでくるかもわからんぞ」と言ってたんですが(笑)、実際はそういうことは一切なく。

水野:なかった?

村西:ありませんでした。結局。脅迫は相当ありましたが。「ワシら忙しいからお前とこみたいな田舎町に行ってるヒマないんじゃ!」と。(笑) これも全部公表したんです。こんな意見が来たと。そしたら新聞がそれを書いてくれたりしました。(笑)
そんなこともありましたが、その後、今まで合併問題については住民投票が400件近く行われていて、もう普通のツールになりましたよね。住民の意思を問う手段として。外国人投票権もだいたい7割近くは入れるようになりましたし。

水野:65.3%ですね([国民投票/住民投票]情報室調べ)。

村西:外国人嫌いの首長や議員がいるところでは、逆に住民から、あるいは議会から入れるべきだとか意見が出て、修正させられた町もあります。外国人投票権を入れるように。そんな時代になってきました。


村西俊雄プロフィール

1941[昭和16]年生まれ。
商社勤務、国家公務員を経て滋賀県職員に。約37年の勤務で土木部次長、人事委員会事務局長、県立大学事務局長を歴任し旧米原町へ。6ヶ月を助役勤めた後、同町の町長となる。
米原町長時代、周辺自治体との合併をテーマとしたものとしては全国で2番目となる住民投票を実施。日本で初めて外国人に投票権を与えた住民投票となる。
現在、愛荘町長。
ブログ:YAHOOブログ 町長「むらニャン」のあんにゃ・もんにゃ


 

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リレーメッセージ「第12回 千葉麗子」

大阪市、東京都で展開された「原発」住民投票条例制定請求の署名収集活動から1年が経ちました。立地先の住民のみならず、大量消費地で暮らす都市住民にも「原発」の問題に関わっていく責任と権利がある──そういった考えから、本会が多くの人々に呼びかけて起こしたこの直接請求運動は、市民自治の観点から歴史的な意味をもつものになりました。
今回の「賛同人リレーメッセージ」では、東京の請求代表人を務めた千葉麗子さんに、大阪の請求代表人だった今井一が話を伺いました。


記事中、千葉麗子さんの発言は「千葉」、今井一の発言は「今井」と表記しています。


今井 年が変わって随分たちましたが、明けまして、おめでとうございます。

千葉 おめでとうございます、本年もよろしくお願いします♪

今井 さて、去年は、千葉さんにとってどんな年でしたか。

千葉 うーん、激動の1年でした。特に、請求代表人の一人になって、「原発」都民投票条例制定を求める署名を集めたのは、心に深く残ってます。

今井 そう、ちょうど1年前にやってたよねえ。30万筆目指して毎日必死でした。

2011年11月12日、直接請求署名活動決起集会にて。

2011年11月12日、直接請求署名活動決起集会にて。

千葉 やってた、あの寒いなか!!!渋谷や新宿の駅前で、中学生の富樫泰良君や高校生の斎藤ニコラス君、それからシバケン(大芝健太郎)、ドッキョ(山本雅昭)という若い世代、そういうみんなと頑張りました。

今井 大阪でも同じ時期に市民投票の署名集めをやったでしょ。東京でも都民投票やったでしょ。今、東京とか大阪で、みどりの関係とか脱原発の関係とか、行政に注文を付けるいろんな動きが起きてるんだけど、それに足を踏み出したきっかけがね、市民投票や都民投票の署名集めの運動に参加したことだった。あれで目覚めたっていう人が多いのね。

千葉 うん、いる。

今井 だから、署名を集め終わって請求して、議会で否決されたけども、その人たちがまた新たなフィールドで元気に活動してるのよね。

千葉 そうそうそう、それを、現場で、ほんとすごく、「あ、この人もだ、この人もだ」っていうのは、若い世代のなかでは感じた。

今井 そういう意味で言ったら、辛かったけども市民投票も都民投票もやってよかったよね。

 

国会前にて。反原連のステージ。

国会前にて。反原連のステージ。

千葉 よかった。私もいろんな事やってるんだけど、こないだもね、国会前の反原連のステージのとこで司会やって、シュプレヒコールして、スピーチをやったときに、「え、レイちゃんって福島出身だったんだ」って、まだ知らない人もいて驚かれたんだけども、やっぱり自分自身が福島のね、あの酷い事故をきっかけに、何かをしなきゃいけない、何かを変えなきゃ、学ばなきゃいけないっていう気持ちで必死に過ごした1年だったから、まずはその、「署名」という手法、手段、ベクトルっていうところから入れたってことはやっぱりよかったの。というのは、すごく厳しい環境だったから。

今井 厳しかったよね、例えば、渋谷のあのスクランブル交差点で、早足で通り過ぎていくみんなに呼びかけ、立ち止まってくれた初対面の人たちに名前と住所と生年月日を書いてもらう。

千葉 それで、ハンコまで押してもらわないとだめだし。

今井 そう。みんなハンコなんてもってないから、たいてい拇印だったよね。なんか犯罪者みたいで嫌だって言われたりして。

千葉 そう。だから、デモはデモでもちろん、寒い中、雨の中、ずっと立ったりとか声をあげたりとか大変なことではあるんだけども、法定の署名集めはもう本当にもっと過酷な状況のなかでやったことだと思うんだよね。受任者もそうだし、私のような請求代表人もそうだけども、みんな、お手伝いの人たちも、やれハンコ、朱肉ねえ(笑)!それでそんな細かい作業を厳しい経験をしてきたからこそ、デモに行ったりとかするっていうのは、なんかすごく気楽で楽しく感じることすらあるのよね。

今井 僕はね、今の話聞いてて思ったんだけど、あの、デモはもちろん意味があるし、僕も時々官邸前集会には参加してるんですけどね、デモと直接請求の署名集めの決定的な違いはね、デモは、自分がその気になったら行けるんですよね。自分さえその気になったら、寒かろうが雨が降ろうがね、自分が行こう、と思えばやれること。だけど署名集めの大変なのは、他の人、他の人間をその気にさせなければいけない、という(笑)、

千葉 そう、そう。

今井 これが大変だよね。ふつう、住所、名前、生年月日を書いて拇印を押そうという気にはなかなかならない。

千葉 そう、ならない。

今井 脅したり殴ったりしてというんじゃなくって、ほんとに納得してもらって、署名・押印してもらう、と。これが大変なのよね。

千葉 そうそう。だからもう、説明して、同意を得なければいけないっていう作業が、まずデモよりもね、難しい点としてあった!

今井 そのデモが去年の夏以降徐々に盛り上がっていってね、

千葉 デモや抗議も、盛り上がったー。

今井 で、秋にピークを迎えて、すごかったじゃない。一時は10万人20万人に達して。総選挙の結果は、あんなふうではあったけど、官邸前集会にしろね、ほかの動きにしろ、何かどこかが確実に変わりつつあるよね。

千葉 ある!大飯原発が再稼働になったと。あのとき20万人ぐらい集まって、すごい人の波になった。でも今参加者は減ってるじゃないかって言ってる人たちがいるけど、私は全然そう思ってなくて、こないだも言ったのは、ヨーガも茶道も日本舞踊もそうなんだけど、家元があって、そこから分家が起きていくわけなんですよ。つまり、みんなが各地から、例えば大阪のみんなは現場に見に来て、あれを体感したわけだ。

今井 はい。

千葉 あのとき、20万人のとか。首相官邸前に、みんなバス出して来たり、各地から来たんだよね。あのときの何週間かのところで何回か、もしくは何回か通ったみんなが、それぞれ、各地に、例えば仙台に、九州は九電前に、北海道は札幌…といろんなところに行って、広げているじゃない?感銘を受けて、影響を受けて、それで各地での動きを起こしてるよね。大阪なら、関電前とか…全国今ではどこかしらでデモや抗議が行われてるもん。

今井 はい。

千葉 お教室もそうじゃない?だからそれと同じだと思っていて、数は、全部トータルで全国の参加者人数まで混ぜたら誰もカウントができないわけだから!

今井 なるほど、うん。

千葉 私は、民意っていうのは育っていると思っているし、全然、その、数で減ったとかっていう感じはしてない。逆に広がってよかったね、っていう気持ちなんだ今。
各地に分散してった方がよかったんだから。東京だけでやっててもしょうがないわけだしね。みんな通えないんだから!

リトアニア・イグナリナ原発にて職員と。

リトアニア・イグナリナ原発にて職員と。

今井 あと、千葉麗子さんと言えばですね、リトアニアまで行ってくれた。「原発」国民投票の調査・取材で。

千葉 ねー♪

今井 あの寒い寒いリトアニアに。

千葉 面白かったねー。

今井 それでね、僕はもう麗ちゃんにほんとに感謝してんのは、あの時に、若い人を連れてってくれ、連れてった方がいいよと助言してくれた。あれで、山本君(ドッキョ)と、大芝君(しばけん)に声をかけたわけですよね。で、この二人が大活躍してくれて、もし麗ちゃんが言ってくれなかったら、僕はこの二人を連れて行くということを思い浮かばなかったと思う。だからね、ほんとに感謝してます。

千葉 あのときはもう、ほんとに、自分のなかでどういう気持ちだったかっていうと、やっぱり世代が高い方々だったりとかっていうのは、市民活動も上手だし、プロフェッショナルであるし、今までもやってきてるわけだからね、そんななかの枠だけではなくて、やっぱりね、若い世代が見なかったら、次に伝えることが、このウチの会もできないからね、下が育たないっていう。

今井 うんうん。

千葉 だから、ドッキョもこれから伝えていってほしいし、あと、シバケンなんかも、それがきっかけでね、世界に対しての目をね、向けるようになったじゃない?ドイツに今回ね、旅立ったっていうことは、すごく大きい。成長して、またスキルを持ち帰ってくれると思うしね。

今井 そう。シバケンなんて、ブルガリアでの「原発」国民投票の現地取材に入って、うちのウェブサイトに1月下旬からリポートを連載ですよ。

千葉 すごい。

今井 とにかく、何でリトアニアまで赴いたかっていうと、住民投票は、日本でもう400件以上、巻町や御嵩町や名護市でやってんだけども、国民投票は1回もやったことがないもんだから、みんな具体的なイメージ、感じがわかんないのよね。

千葉 うん。

今井 僕はスイスやフランスやロシアで、国民投票の現場を何回も見聞きしてるけど、うちの賛同人や仲間はそうじゃない。だから、国民投票の現場をまず見てもらわないといけないと考えて、それで今回9人で赴いたんだけど、どうですか、やっぱり現場見て、何か感じるところありました?

千葉 うん、感じた。私はね、もうね、なんか、「あ、これいけるな」って思ってたよね。だってみんなは、なんだっけ、あのときさあ、行く前まで、日立の「原発」新設を、賛成する人が多いだろうと、

今井 多いだろうと、きっと多いだろうと。

千葉 そうそうそうそう、うん、そう言ってたわけだけども、私は世界的な動きを見てたら絶対に、パブコメの結果もそうだけども、日本では脱原発が7割8割っていうのを信じているし、ある一部の、一定の儲かる人たち、原発の恩恵を受けてる人たち以外は、ほとんどは危ないものはいらないって言うのに決まってるから、勝つ。勝つというのはその、新設は反対っていう人たちの方のが声は大きいだろうなあ、と思ってた。

今井 ところがさ、リトアニアでは国民投票と同時に行われた国会議員選挙の結果だけ見たら、緑の党のメンバーとかは全員落選してるし、反原発はみんな落選してたよね。でも、国民投票では6割以上が「原発」反対。

千葉 そうそうそう。だから、そういうことを現場で直接体感し目の当たりに見れたのはすごい面白いよね。行って本当によかった。

今井 12月の総選挙が終わったあとね、「もう国民の馬鹿さ加減にうんざりしてる」とか「こんな愚かしい自民党を原発推進の人たちを勝たせるような、日本人なのに国民投票なんかとても危なくてやってられない」と、たくさん事務所に電話があったんですよ。

千葉 そうなんだ?

今井 だけど違うんだって。日本人が愚かしいんじゃなくって、ルールがおかしいんだって。あのね、さっきも言ったけど、リトアニアの人、国民投票で65%が反対したリトアニアの人だって、反原発の国会議員は一人も通ってないわけだから、ルールがそういうルールだから、日本人が馬鹿なんじゃなくってね、ワンイシュー(単一案件)では争わない選挙、ましてや小選挙区制のルールでは、反原発の意思は通らないよね。

千葉 通らないと思う。これはあと何年も変わんないんじゃない?うん。選挙では。だから、国民投票が大事だってことを言ってるわけでしょ、私たちはずっとね。

今井 麗ちゃんの前にこの欄に登場してくれた笹口孝明さんが、原発がいるかいらないかも、もちろん大切な問題だと。だけどその前にね、主権者がちゃんと自分たちで決めてるのかどうか、自分たちで自分たちの未来を選べることができるのかどうか、そっちの方がもっと大事だってこう、おっしゃったのね。

千葉 言ってる、はい。

今井 だから、我々の仲間でもね、絶対に反原発が勝つんだったらいいけども、負ける可能性があるんだったらやらない方がいいっていう人が相変わらず多いんだけども、それは違う。麗ちゃんもリトアニアの現場に行って、ドッキョやしばけんと一緒に調査・取材して、賛成の人も反対の人も、国民投票で決めることについてはこれでいいというふうに言ってたけども、

千葉 そう、言ってた。

今井 どうかな、麗ちゃん、改めて、勝ち負けじゃなくって、この一人ひとりが首相や議員と言う代理人に委ねず自分たちで直接決めるっていう大切さみたいなものも今考えてる?

会の共同代表に就任した宮台真司氏とのスナップ。

会の共同代表に就任した宮台真司氏とのスナップ。

千葉 うん、感じてる。感じてるし、同じようにこの先伝えていかなきゃいけないね、民主主義ってことでしょ。それも間接な民主主義じゃなくて、直接でね。

今井 直接でね。

千葉 そう。そこの大事さっていうのはみんな徐々にわかってくれるんじゃないかな。もうだって、総選挙があんな結果になって夏の参院選でもまぁそんな劇的には変わんねーだろ、みたいな気持ちになってるし。もう1回参院選で負けて、自民党が勝って、原発推進になって、もっと再稼働されてってどんどんならないと、じゃあ国民投票だ!って声あげようよ、っていうところまで、いかないのかもね(苦笑)?

今井 なるほど。でも、うちの会としては、参院選と「原発」国民投票の同時実施を求めていくけどね。

***  ***  ***  ***  ***  ***

 
今井 あとね、麗ちゃんは芸能界の人ともお付き合い多いじゃないですか。海外、特に欧米の人に比べて、日本のアーティストとか、役者、俳優、歌手みんな含めてだけども、なんでこんなに原発について、別に反対って言わなくちゃいけないって言ってんじゃなくて、賛成だったら賛成でもいいんだけど、なんで口をつぐむのかな、こんなに。

千葉 ほんとに不思議だね。私、アンジェリーナ・ジョリーとか好きだけどさぁ、金がどうのこうのっていうことじゃなくね、いやもちろん彼女はセレブだけども、そういうこととはさておき、孤児院だったりとかね、孤児の問題に、社会問題に目をつけて動くじゃない?みんな、自らの意思でね。

今井 自分自身も、子どもの養育を引き受けたりしてね。

千葉 そうそう、養子としてね。経済的に余裕がある人はそうしたりとか、自分ができる範囲のなかでボランティア、つまりその、ヨーガだと「カルマ・ヨーガ」って言って、無私無欲の精神で何かをするっていうことが基本、であるんだよね。日本はどうなんだろうね。無宗教にほとんど近い。クリスマスは騒いで、お正月はしめ飾り飾って、神様っていって全然輪廻転生も信じてない、ヒンドゥーじゃないしね。そんななかで、もうほんとにボランティアっていうと逆に毛嫌いされる言葉だったりとかね、そこに対する、まず精神がね、違うよね。馬鹿にされたりするでしょ、逆に。

今井 そう。

千葉 偽善者かって言われてしまうね、なんか妙に、出る杭は打たれるし、打つしね、足の引っ張り合いをする、っていうところが日本人のなかにはやっぱりすごくあるよね。私なんか全然、お父さんもお母さんも、どっちも生粋の日本人で。でも、私は韓国人の友達もたくさんいるし、アメリカ人にも、みんな、いろんな国に友達たちがいるからね!馬鹿馬鹿しいね、差別もそうだけども、それに、なんか近い感覚なんじゃない?狭い島国のなかで、ねぇ。

今井 内の会の賛同人でもある写真家の藤原新也さんとも話したんだけどね、藤原さんが、自分たち、このいわゆる文化人とかアーティストと呼ばれている人たちの役割っていうのは、普通のサラリーマンとか公務員がなかなか言えないことを、堂々とね、これ、おかしいじゃないかと世間に発する役割も背負ってるっていうふうに言ってるわけね。

千葉 うん。

今井 ほんと、そう思うのよ。

千葉 あたしもそう思う。

今井 ところが、むしろ、今パン屋のおっちゃんとか、豆腐屋のおばちゃんの方がはっきり原発について物を言ってる、賛成であろうが反対であろうがね。アーティストの方が逆に口つぐんで、なんか公務員みたいでしょう。公務員アーティストと呼びたい。もちろん公務員だって自由に発言できるんだけど、ほんとはね。

千葉 だから私もチバレイってやっぱちょっとすごいねって言われたのは、私には何も失うものも怖がるものもないから、経団連会館前抗議に足を運んだ1年でもあったのね。で、それって実はすごいことらしくて、つまり経団連会館、あそこの抗議には、なかに電事連も入っていて、つまりそのレコード会社もそうだけど、芸能プロダクションだったりとか、メディア、放送に関わるところ(笑)!

今井 そう、そう、そう。週刊誌も何もかもね。

千葉 うん、すべてを関わるとこなのね。だから、あそこの前で、「電事連解体!八木黙れー」とか「米倉黙れ!経団連解体―」とか!!!

今井 はっはっはっはっはっは(笑)

千葉 「再稼働はんたーい」とか「命を守れー」とか「八木出てこーい」とか、「米倉黙れ」ってみんなでシュプレヒコールしてるわけでしょう、何百人っていう仲間たちと。あたしは全然、そういう立場ね、もうアイドルをね、20歳で辞めたからいいけど、でも、そこを怖がらずに出てくるアーティストたちがもっと増えないかなぁ?と!

今井 そう、その通り。なんで坂本龍一や斎藤和義らだけなの、という感じやね。

千葉 そうだね。

今井 もちろん声を上げてる人はけっこういるけど。もっとメジャーな人が覚悟を決めて声を上げないと。黙ってることは容認するということなんだよね。で、今、私たちの生き方が問われてるんですよ。

千葉 そうだと思う。今、過渡期に入ってくるんじゃないかな、こっから、の1年が。

今井 そう。どんなふうに生きていくのか、ね。

千葉 そう。

今井 だから、我々が東電について批判をしたり、政府について批判をしたりすると同時にね、自分の生き方を問い直さなかったらねえ。

千葉 うん、いけないと思う。

今井 ねえ。

千葉 だから、あたしもそうでしょ。離婚したら離婚したっていうプライベートな話だけども、それなりの責任と覚悟を背負う。シングルマザーになるってことを選ぶんだったら、それについてのリスクも伴う。当たり前。そこに関しての責任や覚悟を取れない、で、旦那に我慢してる人は世の中いっぱいいると思うよ。だからそれと同じだと思うよ。誰もが公私ともども、自分の生き方だったりとかっていうのを見極めて、リスクを背負うところは背負う。

今井 そう。それでね、だから、都会の人は「ああ、福島の人はかわいそうだわ、1年半もあんなところに住んで」とかね、「故郷追われて」とか、かわいそうだかわいそうだと言ってるくせに、原発については自身で何も言わないというね、

千葉 そうだね。

今井 これがもうほんとによくないよね。ほんとに、ほんとに福島の人がかわいそうだと思うんだったら、勇気を出して「原発」のことは勝手に決めるな、自分たちに決めさせろという声をあげないとね。

千葉 うん。

今井 だって、これ、このままだったら安倍さん、どんどん再稼働するよ。

千葉 そう。

今井 最後に、3月10日に僕らは日本で初めての国民投票を求める、原発国民投票求めるデモと集会をやります。まあ、これまで反原発のデモはね、もう日本国中、毎週のようにあちこちで行われたけども、国民投票求めるデモって1回もやったことないでしょ。日本という国が始まって以来ね。

千葉 うん。新しいね!

今井 そう。で、それのデモと集会を3月10日にやるんですけども、麗ちゃんにもいろいろ手伝ってもらいたい。どうですか。

千葉 ねえ。画期的な運動だから、やっぱり今までの市民活動というイメージを拭い去るぐらいのかっこよさだったりとかシンプルさだったりとか、そういうのでやりたいよね。
市民活動は、素晴らしいし、尊敬すべきものだし、大事なことです。もちろん!なんだけども、そのなかでも今度はそれを、昔の、何十年も前の人がやってたテイストではなく、よりスマートなものにブラッシュアップしたい。フライヤー一つとっても、レイアウトもデザインもダサくていいっていうのじゃなくて、市民運動が、一番、いろんな意味で一番かっこよくて、一番最先端いかないとダメだ思う。結局は、どのように、今の時代の子たちに受け入れられるように、変化させて落とし込んでいくかっていうことだと思う。あと、うちの会には、浅田次郎さん藤原新也さん、坂本龍一さん、俵万智さん、大橋巨泉さんなんて有名な賛同人がいっぱいいるんだから、そういったみなさんにも3.10のデモや集会に参加してほしいよね。

今井 そうだね。3月10日にはね、ほんとにもうたくさんの人で新宿を練り歩きたいし、杉並公会堂も満席にしたいんですよね、1200席なんですけどね。とにかく、国民投票を求めている人が、日本にこんなにたくさんいるんだっていうことを見せたい。反原連の官邸前集会から可視化することの大切さ学びました。ウチは署名集めをたくさんしてます。これも大事なことなんですが、それと同時に声を上げてる人を目に見える形で示さないと。可視化をしてね、こんなにも求めてる人が多いということを見せるっていうのも大事だから、その一環としてね、3月10日はちゃんとデモをしようと考えたわけです。

千葉 初めてだからね。

今井 そう、日本初の国民投票デモだから、これメディアにも日本初だからということでPRをしようと思ってます。またいろいろお力添えください。

千葉 わかりました、はーい♪今年も、兄貴がんばろうね!


プロフィール
千葉麗子
(株)チェリーベイブ代表取締役
インテグラル・ヨーガ主宰


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